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2011/05/05

Re: 【パソコン歴史浪漫】29 ●ワープロV字進化論 ~OASYS 100 (@サンロフトの本とテレビの部屋)

親指シフトという奇跡。
http://ameblo.jp/kagra/entry-10881180591.html

東芝JW-10の名と630万円という値段はずっと以前から知っていたが、「プロジェクトX」等で開発の経緯が紹介され、その先進性に驚かされた。
パソコン用ワープロソフトの歴史では、単漢字変換、熟語変換、文節変換、連文節変換と進んだので、ワープロ専用機もそうだろうと思い込んでいた。しかし、東芝は日本語文法の研究にまで踏み込んでいたのだ。表示や印字も24ドットであり、PC-9801でいえば「松」ないし「一太郎」に相当するのではないか?

(中略)

富士通OASYSシリーズは、誕生時から「親指シフト」という独自のキーボードを使ったかな漢字変換方式だった。キーボードが一般化した後に効率的なキー配列が研究されたのではない。日本語(かな漢字混じり文)の入力方法が模索されていた時期だからこそ、独自キーボードが生まれ得たのである。
NECのM式キーボード、TRONキーボードを彷彿させる手の形に合わせたキーボードが、研究当初から試作されていたのも驚きだ。
「親指シフト」は、手前中央のシフトキーとかなキーを同時に打って入力する。シフトキーを押しながらかなキーを押しても、何も入力されない。まさに同時に打つのだ。この方式のキーボードを他に知らない。恐らく、存在しないだろう。

親指シフトは1980年頃、日本語ワープロの黎明期に富士通のワープロOASYSのために開発されました。それは日本語の入力という難しい問題を解決するために行われたさまざまな技術革新の一つでした。

この時期は日本語ワープロという製品ジャンルが確立されようとした時期なので、各メーカーは競って新技術を開発して製品として投入していきました。日本語入力に関する技術はその中でも中心的な課題でした。だから各社とも工夫をこらして製品化していました。そうした技術の中には、すぐに日本語ワープロ用としては使われなくなってしまったものもありますが、その後の携帯電話などのポータブル端末のための技術として使われているものもあるようです。

親指シフトはそうしたものと比べると驚くほど当初の考え方やデザインを維持して今日まで使い続けられています。親指シフトはキーボードによる日本語入力という基本的な技術に関するものなので、当初のデザインの健全さや頑健さがその後のサバイバルのために大きく役立ったと言えるでしょう。それはある意味で奇跡的なことなのかもしれません。

親指シフトに関してはもう一つ奇跡といってよいものがあると私は思っています。それは、そもそも親指シフトが生み出され実際に製品として世に出たということです。考えられた技術が実際に使われる頻度はそれほど多くありません。それではなぜ親指シフトは製品として世に出ることができたのか私の仮説で考えてみたいと思います。

コンピューターが個人的に使えるようになったのは米国などの英語圏が最初です。ですからコンピューターで文章の処理をする、特に文字を入力するという技術に関しては英語での利用を考えれば良かったのです。人間とのインターフェースに関していえば、基本的にはタイプライター時代の技術を少し改良すれば良かっただけです。

ところが日本語の場合はそうではありません。文字セットのサイズなどが英語とは大きく異なるので、タイプライター時代の技術では小型のキーボードで入力することは不可能でした。それを解決するのがかな漢字変換やローマ字入力だったわけです。しかし、親指シフトはそれをもう一捻りして、根本に立ち返って検討した結果だったのです。その背景には製品ジャンルの黎明期に業界をあげて解決策を模索していた日本語入力の問題への深い洞察があったのだと思います。

文字の入力が難しいということでいえば、英語などのアルファベットを使う言語以外の言語も同じ問題を抱えています。日本の近隣でいえば韓国語や中国語も同じ悩みを持っていたと思います。こうした言葉が使われる地域でのワープロの普及期(特に当初の時期)の状況について詳しく知っているわけではないですが、日本のように業界あげての努力といったものはあまりなかったのではないかと私は思います。

この原因としては、経済発展の度合い(個人がコンピューターを買えるようになるレベルに達した時期)と、技術開発のスピードや力点の違いがあったのだと思います。日本のようなワープロ専用機というジャンルが発達する時期を経ずに、パソコン時代に直接行ってしまったので、文字入力のようなマイナー(と誤解されている)な技術よりアプリケーション開発などの方により多くのリソースが割かれるようになってしまったのです。だから、文字入力に関しては、ありていに言えば、間に合わせの技術ですませてしまい、日本語入力における親指シフトのような根本まで考えたものは生まれなかったのです。

親指シフトが生まれ実際に製品として世に出たことは、もちろん開発者や富士通の努力によるものです。しかしその背景には、これまで述べたようなコンピューターという技術をめぐる大きな時代の流れもあったのだと思います。その意味で親指シフトは "in the right place at the right time" という時の運に乗れたという奇跡の賜物だったのかもしれません。もちろん、その後のサバイバルにはそれだけでは足りないのは当然で、それは前述の基本的デザインの健全さや頑健さによるものなのです。

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