Re: 「かな入力」か「ローマ字入力」か (@YouheiOginoの日記) 他1件
キーボードによる文字入力学習の神話と現実
http://d.hatena.ne.jp/YouheiOgino/20100105/1262693321
ローマ字入力の長所は「覚えることが少ない」。これに尽きると思う。
ローマ字入力ではアルファベットの位置(それも使わないものもある)さえ覚えれば良いのに、かな入力は50音に加え、拗音、撥音、促音の位置まで覚えないといけないのは大変だと良く言われます。上に引用した方もそのように考えているようです。
これに対して、次のように言う人もいます。
町中のゾンビ (@河野太郎公式サイト)
http://www.taro.org/2010/01/post-677.php
かな入力なんてやる気があれば三日でできる!
実際のところはどうなのでしょう。
親指シフトによる日本語入力の普及活動をしている団体「日本語入力コンソーシアム」のサイトには次のようなグラフがあります。
(出典) http://nicola.sunicom.co.jp/spec/demand.htm
これは、複数の学習者が異なる入力方法を学習した際の習熟の度合いを入力文字数で比較したものです。これを見ると、NICOLA (親指シフト) が一番速く、ついでJISかな、ローマ字入力が一番遅くなっています。
最初の引用では、ローマ字入力は覚えることが少ないので良いとの論旨でしたが、覚えやすいと考えられるものを使った場合の上達が覚えにくいと考えられるものを使った場合より遅いということは考えられるのでしょうか。
ローマ字入力は覚えることが少ない (だから簡単に上達する) というのは、学習という複雑なプロセスをあまりに単純化しすぎていて現実を反映していないのです。そのことは、このグラフで見るように実際の学習の結果により明らかなのです。
道具に振り回される人生は終わりにしよう。
というのはその通りですが、ローマ字入力こそが使いにくい道具で、それに多くの人が振り回されていると言う方が現実なのです。
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コメント
実は、ただいま現在音声入力をやっています。
原稿は小学生が書いたアンケート結果。
当然、枚数も多いので、毎回そこそこ疲れます。
なぜ音声入力に走るのか?というと、原稿を見ながらしゃべればよい、というのが大きいですね。
キーボード入力だと、原稿と画面の間を視線が行ったり来たりになる。
もう一つは、文法に沿っていないから、原稿に非常に注目しなければならない。
で、主題の「道具に振り回される」は音声入力でもあります。
わたしは、音声入力歴は古くてViaVoiceが出た途端に買った口です。
今使っている音声入力システムは、アミボイス。
その経験で言うと、一番肥前に見える音声入力ですら、うまく使うのには相応の練習や、ソフトウェアのクセなどを把握しないと行けない。
IMEにはATOKを使い、かつ文章校正ソフトや共同通信記者ハンドブックで校正(することもある)し、音声入力もしている、わたしは日本語入力にかなりこだわっている方でしょう。
そして、親指シフトキーボードは現役が5台あります。(予備を含む)
その経験枯らしても「道具に習熟するのは必須」であって、「道具に振り回される人生は終わりにしよう」とか言うのであれば、わたしのように色々と挑戦している者から見ると「アンタはどこまで試したのだい?」と聞きたい。
わたしはいまだに結論は得ていない。
投稿: 酔うぞ | 2010/01/07 17:14
えー、私が書こうかどうか迷っていたことです(笑)。
要は、最終的に得たいものとの対比でどの程度の努力を必要とするかの話ですね。
私が理想とする「執筆」環境は、優秀なゴーストライターと編集者を専属で雇うことなんですが、まあこれができるためには私の「書いた」原稿が年収で5000万円位の価値を産まないとだめでしょう。
そんなことは到底望めないので、ささやかに親指シフトキーボードを買ってしこしこ文章を書いているわけです。親指シフトの方が学習も楽ですしね。
投稿: 杉田伸樹(ぎっちょん) | 2010/01/07 20:20
まあ、予測としては「思考執筆」がもうじき(10年ぐらいかな?)で可能になるだろうと思っています。
おそらくは、それでも「執筆のための思考技術訓練」が必要であろう子とは容易に想像できることで、道具にますます振り回されるのでありましょう。
キーボード論争では、自分の環境(自分のキーボード)以外での作業が必要だ、というのがベースにあります。
これがパーソナル化できれば、だいぶややこしい話は無くなるわけで、キーボードそのものに操作環境(IMEとかキーボードショートカットなど)を記憶させて、キーボードを持ち歩けるようにする、という選択があっても良いですね。
今は、このような「環境の持ち歩き」に相当するのが、ノートPCと無線LANでオフィスではこのような手法が多いし、家庭でもそういう指向が見えます。
キーボードだけ分離というのが規格化されれば、不可能ではないですよね。
投稿: 酔うぞ | 2010/01/08 14:32
私の考えているのは現行の電力供給 (power supply) のような形でcomputing power supplyがどこにでもあるという形です。確かグーグルは、自身のシステムを「知識の発電所」といったたとえをしてたような気がするんですが、それと同様です。
別の例で言うと、現在、出張するビジネスマンは飛行機の中でノートパソコンを開いて仕事をしているわけですが、これも各人がcomputing powerを持ち歩く必要はないわけで、座席の横にpower supplyがあるのと同様computing power supplyがあれば良いわけです。スクリーンは目の前にあるし(笑)。
ただ、power supplyで今起こっているのはグリッドシステムから各戸が燃料電池などで自前の発電能力を持つ方向に向かっているわけです。
つまり、中央発電所-パワーグリッド型が良いか、分散型が良いかはいろんなファクターによって変化をするので、一概にどちらが良いかとは決められないわけです。
昔から王様は手ぶらで旅行するものと決まっています。いろんなものをぶら下げて旅行するのは「乞食の引っ越し」と言われます。王様が手ぶらで旅行できるのは、途中や行った先で困らない用意 (インフラ) があるからで、これを整備するのはコストがかかります。それができるかどうかは王様が金持ちかどうかによるのでしょう。
ただ、いずれにしても人間とのインターフェースは人間に着いていくしかないわけだから、これは個人にとって使いやすいものを選んで持っていくということになるのでしょう。私が王様になって行く先々に親指シフトキーボードを用意させることができれば別ですけど(笑)。
投稿: 杉田伸樹(ぎっちょん) | 2010/01/08 23:07