ガラパゴス化と親指シフト
http://plaza.rakuten.co.jp/mahotai2000/diary/201001200000/
この国だけの独創性だけの支持による技術革新が進むだけで、こういったハイテクは世界の事実上の要求水準と大きくかけ離れたものになってはいないか???
ということである。
世相の言葉を用いれば、[ガラパゴス化]だな。
(中略)
大昔にPCではNECのPC98シリーズや富士通の親指シフトとかがいい例だ。
中南米で生活していたことがあるので「ガラパゴス」には何となく親近感がある(実際に行ったことはない)のと、そもそも社会現象に進化論のメタファーを安易に使うことには違和感を感じていて、「ガラパゴス」が悪いことのように言われるのは何とも残念な気がします。
それはさておき、親指シフトについて上記の引用に書かれていることを吟味してみましょう(PC98シリーズについては分かりません)。
親指シフトが日本国内だけの支持であったことは当然で、それは日本語入力のための技術であるからです。それだけではありません。現在、親指シフトの日本語入力に占めるシェアはきわめて小さいものです。もし、親指シフトという技術の正否が日本語入力におけるシェアで測れるものであったならば、かつてそれなりのシェアを持っていたものが大きく減らしてしまうという大変動をすることは説明がしにくいはずです。
私の考える親指シフトのシェアの変動の要因は、技術そのものの正否ではなく、コンピューターで日本語を入力するということの社会的意味の変化という環境激変によるものです。
いずれにしても、日本語入力に関する技術ですから日本語を使うという制約の中でしか広げられないわけで、その意味ではそもそもグローバルになり得ません。
ただ、これは日本語に限ったことかというとそんなことはなく、いろんな言語をコンピューターにキーボードで入力する場合、その言語の構造に合わせた解決方法がとられていて、それは当然、その言語を使うという制約から外れることはあり得ません。
だから、日本語入力の技術については日本語にとって使いやすいかどうかを考えれば良いわけで「ガラパゴス」などを持ち出す必要はまったくありません。日本語を使うことをやめるということをしない限りは。
私は親指シフトは日本語入力のための技術として大変優れたものと信じています。ですから、細々ながらもその普及(社会化)のための活動をしているわけです。
ところで、親指シフトという技術を日本語以外にも使うということも考えられます。すなわち、親指シフトは「親指と他の指の同時打鍵」という他にない技術を使うことで、キーボードによる入力の可能性を広げた、と考えると、日本語以外にも適用ができるかもしれません。
このように考えて、いくつかの言語について親指シフトを応用する試みが(まだ理論のレベルですが)あります。詳しいことは、このブログの右サイドバーのケーススタディー(日本語以外)の各言語のところをご覧ください。
親指シフトが中国語やヒンディー語、アラビア語といった使用人数が多い言語で使われるようになったら「ガラパゴス」なんて言ってられないのではないでしょうか(笑)。
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