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2009年9月の記事

2009/09/17

Re: 仕事の効率化 (親指シフト③)(@仕事の効率化徹底主義!!)

親指シフトが普及しなかった理由は何か。
http://ameblo.jp/s48nen-umare/entry-10342689027.html

この効率的な入力方式がなぜ廃れていったのか?

理由は『覚え難い』という点が大きいではないでしょうか。

PCが一般化する背景にはwindpwsというインターフェースに優れた『分かりやすい』OSの台頭がありました。

それまでPCに触れたことのない層を取り込むにはどうしても分かりやすさ優先に成らざるを得ません。

そんな中でこの効率的な入力方式は勢力を弱めていったのです。

親指シフトが普及しなかった理由として、この方は親指シフトが覚えにくかったからではないかと考えています。

親指シフトが現在、使っている人の比率という点で普及していないのは事実です。正確な数字は不明ですが、パソコンを使う人全体のおそらく数パーセントあるいはそれより1桁、2桁少ないかもしれません。

そのような状況になった原因は何か一つだけということではなく、さまざまな要因が重なってそうなったと私は考えます。理由も技術的なものよりは、社会的なもの(普及するということは社会的現象です)の方が大きいと見た方が良いでしょう。

この方の言われる親指シフトの「覚え難」さというのがどのようなものなのか、必ずしもこれだけでは読み取れませんが、親指との同時打鍵といった他の入力方法にはないやり方が理解しにくいということなら、そうかもしれません。

ただ、実際に使って覚えようとすると実は親指シフトはJISかなやローマ字入力よりは早く習熟できるのです。

これは、私が言うのではなく、http://nicola.sunicom.co.jp/spec/demand.htmの図3にあるように、きちんとコントロールされた環境での比較実験の結果です。

つまり、親指シフトというのは難しそうに思えるが、真実は逆で、楽に覚えられて成果が出るものなのです。

道具というものは、長く使われるには使いやすく、かつ性能が良いものである必要があります。親指シフトが少数派といえ使い続けられている背景には、自然に使って覚えられ、使った結果も良いという理由があるのです。

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2009/09/13

Re: ibus/ibus-anthy 更新(@丘の道を登り)

おっ、これは・・・。
http://vagus.seesaa.net/article/127908318.html

目立つところでは、親指シフトが実装されたらしい。

詳細は不明ですが、とりあえずは「万歳!」と言いたい。このようにして親指シフトは使い続けられていくのです。

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2009/09/08

Re: バブリーだったあの頃(@そろそろお茶にしませんか?)

親指シフトを使うのはどういう人だったか、今は誰が使うのか。
http://blog.goo.ne.jp/taruho0315/e/b53597a406d5eeeaac13af979bd95ddb

今から16~17年前…

(中略)

現在では、PCによる文書作成なんて、別に専門のオペレータでなくても、誰でもできて当り前の時代ですが、当時はまだ現在のようにPCではなく、ワープロ専用機というものが、書類作成に使われていた時代です。

特に大企業で使われていたワープロは、富士通のOASYSがトップシェアを独走していて、その中でも親指シフト入力ができる人材は、スペシャリストだったわけです。

今から16~17年前というと、ワープロが登場して10年ちょっと経ったころで、まさしくワープロ専用機という製品のジャンルが佳境を迎えていたころでしょうか。もしかすると、もうそろそろワープロ専用機からパソコンへと重点が移り始めたころかもしれません。

ワープロ専用機がかなり普及した当時でもそれを使う人はまだ「専門家」という位置づけがされていたことが分かります。そうした中で、親指シフトでOASYSを使うことができる人は特に優れたスキルを持ったスペシャリストとしての扱いを受けることが多かったのも見てとれます。

時代が下り、ここに書かれているように、専門のオペレーターではなく誰でもがパソコンを使って普通に作業を行う(その中で文字入力はかなりの部分を占めるはず)ようになってきました。こうした中で専門家向けと考えられてきた親指シフトも力を失ってきたといえるのではないでしょうか。

誰もが自分のパソコンを使い作業を行うという時代が来るということをきちんと見越して、文字入力の問題も考えておくべきだったということは、今になっての後知恵でしかありません。

もちろん、親指シフトのコミュニティーでも20年前(1989年)に日本語入力コンソーシアムが創設されて、新しい時代に相応しい(多くの人が普通にパソコンを使って作業を行う時代の要請に適応したという意味で)普及の体制が作られました。しかし、その後の展開は残念ながら親指シフトにとって大成功ということにはなっていないのは明らかでしょう。

それでも現在、親指シフトが多くの環境でそれなりの設定をすれば使えるようになっているのは大変なことなのかもしれません。

しかし、それ以上に親指シフトが使われるようになるようにするにはもう一歩の努力とプッシュが必要です。それに必要な要素が何であるかをきちんと見極めることがまずは大事なのです。

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2009/09/07

Re: 親指雑感(@altocicadaの独り言…)

親指シフトと日本語の構造
http://d.hatena.ne.jp/altocicada/20090907/1252306011

親指シフトにも慣れてきたし、たまにローマ字打ちでもしてみるか、といってしてみると、もうものすごい違和感である。これはもう戻れんナー、あっちには・・・。

やたらと打鍵数が増える煩わしさというものもあるが、それよりも、内語的な違和感とでもいうのか、一度表音文字にしたものをさらに表音文字に変換するという、間抜けさ、とでもいうか、それが精神的にすごく気持ちが悪い。

他の入力方法から親指シフトに移った人が親指シフトのファンになると「もう戻れない」ということを言うのを良く聞きます。上にあげた方も、親指シフトになれたら以前使っていたローマ字入力には戻れないとおっしゃっています。

このように感じる理由は人によりいろいろなようですが、この方は(1)ローマ字入力で打鍵数が増えること、(2)ローマ字入力だと表音文字(かな)との対応関係が失われる、というのが主な理由のようです。

異なった入力方法を比べるときに特に難しいのが、実際に使った場合のユーザーの感覚といったものをどのようにしたら比べられるかという問題です。打鍵数や指の動きの多少といった数値化しようと思えばできるようなものと違って、感覚的なものは客観的な指標にすることが難しいものです。

また、それが使っている言語の音韻や表記法、正書法との関連であったりすると単純な比較は特に難しいといえます。

ローマ字入力をする際に、かな→ローマ字(アルファベット)という変換を頭の中で考えながらしているかどうかというのは議論があるところのようです。ローマ字入力をしている人からすれば、文章を考えると同時に指が動いて入力をするので、かな→ローマ字という変換を意識しているわけではないという議論があります。これも一つの考え方だとは私は思います。

それでも、上記の方のように親指シフトを使い慣れると、ローマ字入力に違和感を感じるようになると言う人も多いように思います。

いずれにしても、この議論はもう少し深く掘り下げる必要があると私は考えています。

こんなことが出来る言語と文字体系って、日本語以外に存在するのか、不勉強にも知らないけれど、それはともかく、活用しないのは勿体なすぎると感じる近頃でありんす。

言語の音韻体系と表記法の関係は実にさまざまです。私も専門家ではないですが、少し考えただけでも、ラテンアルファベット系、アラビア語系、漢字系、インド系などいろいろで、背後にある考え方もずいぶん異なっています。

さらにこれをキーボード入力に対応させようとすると、さまざまな方法を採用しているようです。

キーボード入力の最大の制約は、人間の手指を使って操作するということで、このため、キーボードには大きさや使えるキーの数などの物理的指標におのずから制限があります。

一方で、コンピューター、特にソフトウェアの発達で、機械的制御のタイプライターでは考えられなかったような方法が可能になりました。つまり、機械的制御では、「1打鍵=1文字(ないし文字の部分)」という枠組みでしかできなかったことが、ソフト的制御では多彩、多様な方法を採用できるようになっています。日本語入力でのかな漢字変換はその最も成功したものと言えるでしょう。

そうだとすれば、日本語以外の言語でもソフト的制御の活用で、その言語の音韻や表記法、正書法を踏まえた違和感の少ない入力方法を考えることは可能だと言えるでしょう。それでも、キーボードという物理的存在の持つ制約は依然としてあるので、よりよい入力方法の課題は、ハードウェアとしてのキーボードとソフトウェアの調和をどのようにとれるかにかかっているのだと思います。

親指シフトキーボードの最も革新的なところは「親指と他の指の同時打鍵」というメカニズムで、物理的な存在としてのキーボードの可能性を大きく広げたことです。これがあったために、日本語の場合は普通に使われる文字や記号を使いやすい場所に配置することが可能になりました。

もちろん、全体的なシステムとしての日本語入力はかな漢字変換などの技術の進歩も必要だったのです。

親指シフトを他の言語で応用できないかということは私のペット・プロジェクトなのですが、これは、先ほど述べた親指シフトの革新的なところは他の言語でも活用できるはずだという思いから出ています。

言語が異なれば当然、その構造も異なります。違和感の少ない入力方法がどんなものであるかも違ってくるでしょう。それでも、親指シフトを使うことでよりよい入力方法を考えられる可能性は大きく広げられるはずだと私は考えています。

いくつかの言語における親指シフト利用の可能性については、右サイドバーにある「ケーススタディー(日本語以外)」をご覧ください。

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