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2009/07/16

Re: 脚長スラックス&親指シフト考(@こでけんの日記)

親指シフトの壁とは何か。
http://plaza.rakuten.co.jp/kodeken/diary/200906220000/

親指シフトを推奨する人は、「速い」「指が楽」と言いますが、近くで実際にそれを見せてくれる人や環境っていうのがないので、それがさらに普及のしにくさにつながっているものと思われます。

へい、ご連絡いただければすぐにでも親指シフト・デモンストレーション部隊が駆けつけて、親指シフトの良さを納得いくまで説明させていただきます・・・ってことができれば良いんですけど、残念ながらそのような体制にはなっていません。

「使いやすい」という多分に客観化しにくい基準を売りにしているのが親指シフトを売り込む際の大きな壁になっているのは認めざるを得ないでしょう。なんとか分かりやすく説明したいとは思うのですが、もちろん相手があることですから簡単ではありません。ただ、疑問に対してはきちんと答えることは最低限やるべきことで、そうした積み重ねは大事です。

とりあえず自分なり練習してみて習得の壁になってるんじゃないかと思われる事項を列挙してみます。

・入力環境の汎用性がない
特殊なキーボードを使う、あるいは特殊なソフトを導入する必要があり、そういったものが整っている環境でないと入力できないわけで、個人で使用するパソコンならまだしも、共有端末ではあんまりそういった「特殊なモノ」って導入しにくいと思います。
ローマ字とJISカナの切り替えでも結構壁になってますから。

あと、特殊ソフトを入れていると、一部アプリケーションの挙動がおかしくなることもあり、そういう意味でも汎用性に欠けると思われます。

確かにそのような点があることは認めます。ただし、親指シフト専用キーボードについてみれば、ローマ字入力にしようと思えばできます。一旦ローマ字入力にしてしまえば、他のキーボードと実質上、ほとんど違いはないと言えるのではないでしょうか(ローマ字とJISカナ切り換えでも壁になっているとすればこれも壁にはなりますが・・・)。

ソフトについても同様のことが言えます。親指シフトを使わなければ、基本的には他のものと同じになると考えて良いかと思いますがどうでしょうか。もちろん、細かいところでも違いはあり、そうした細かな違いが使い勝手を損なう可能性があることも理解しますが、実際、それほど大きな影響を及ぼすものなのでしょうか。

自分が親指シフトユーザーであるというバイアスを考慮しても、これがそれほど大きな障害であるとまでは考えにくいのです。

それよりは親指シフトを使いたい人が使いやすい環境を作ることの方がより生産的ではないか、というのが私のセールストーク(笑)なのです。

・一般の人はローマ字入力で不自由するほど文書を書かない
例えば、荷物を運ぶときには軽自動車よりもトラックの方が断然、積める荷物は多いわけですが、商売とかで、一定量以上の荷物を運搬する人以外の人にとっては、あんまりトラックって必要ないんですよね。

親指シフトの導入もコレと同じことが言えると思うんです。

習得すれば入力速度は上がるのかもしれないけど、今のローマ字入力の速度でもそれほど困らない程度の量しか文書を扱ってない。
むしろ習得コストをかけるのが億劫。

確かにそうかもしれません。ただ、コンピューターを使って文字を入力する作業にかける時間×人数は昔に比べたら大きく増大しているし、これからも増加し続けることでしょう。文字入力は知的営みの基本的な作業としてあるので、これが廃れることはあまり考えられないでしょう。実際、コンピューターが世間に普及して一番使われている作業の一つが文字入力だと思います。

そうだとすれば、個人にとってそれほどのメリットではなくても社会的に、この作業を効率化することは大きなメリットはあるはずです。

習得コストの問題も確かにあります。でも、それは基本的に一過性のものです。これから長い間、個人的にも社会的にも文字入力が使われるのなら、一過性のコストはすぐに回収できるはずです。私がなんとか説明しようとしているのは、まさにこの点で、一過性のコストを負担してほしいとお願いしているのです。

・記号が入力しにくい
微妙に。

具体的にどのようなところかは分かりませんが、反対に、親指シフト(通常使われているキー配列で)にすれば、~「」[]()『』など日本語を書く際によく使われている記号はずっと入力しやすくなります。これも親指シフトのメリットと言えるでしょう。

・時代の流れに伴い、必ずしもバランスのよいキー配置ではなくなってきているのではないか
親指シフトのウリの一つに、「日本語での文字の出現頻度を考慮し、各指がバランスよく動くようにキー配列が適正化されている」っていうのがあるそうです。

このキー配置がいつごろ作られたものかは知りませんが、外来語や新語・造語が数多く日常の言葉に入り込んできている現代、このキー配列が必ずしも適切な配置になっているとは言い難いのではないかと思うんです。

特にアルファベットを多用する文書の場合、ローマ字入力のメリットの方が大きいのではないかと。

確かに使う言葉が変わってくれば文字の頻度なども変わってきます。また、親指シフトを使っているとカタカナ言葉で少し使いにくいと感じることもあります。ただ、親指シフトの使いやすさを大きく損ねるというレベルにまで達しているかどうかというと、私はそうは思いません。少なくとも、ローマ字入力やJISカナ入力に比べた親指シフトのアトバンテージが大きく変化しているという信頼できる証拠はありません。

なお、親指シフトでも文字の配列を変えてさらに合理化しようとする試みはコミュニティーレベルではいくつか行われていることも付け加えておきます。

また、アルファベットを入力する場合にローマ字入力をしていることがアドバンテージになるという具体的証拠もありません。これに関しては例えば当ブログの次の記事をご覧ください。
http://thumb-shift.txt-nifty.com/contents/2009/03/re-jis32-fe4c.html

まぁ正直、語れるほど勉強してない初心者の戯言ですが。

疑問の点はぜひお知らせください。親指シフトを普及させようとする場合の最大の壁は「無関心」だと私は思っています。だから、どんな形であれ(批判でも)関心を持ってもらえるのは親指シフトにとってはチャンスなのです。親指シフトのコミュニティーが必要としているのはそうした関心をどのように実際の普及につなげていくかという知恵と行動なのです。

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コメント

初めまして。
ブログにコメントいただき、ありがとうございました。

ブログでコメント欄を設けていると、スパムコメントが寄ってきて困るので、
ウチのブログでは"http"を含むコメントを受け付けない仕様にさせていただいてます。

ですので、こういった普通のコメントをつけてくださる方には非常にご迷惑をおかけしています・・・。

ごめんなさい。

>特殊なキーボード
実際は自分が使ってるのは富士通のLibertouchなので、それほど特殊ではないのですが、
親指シフトの導入には「スペースバーのそばに適度な大きさのキーが2つ配置されてるキーボード」を使う必要があるということで、「特殊なキーボード」と記載させていただきました。
「特殊」って言葉はちょっと言い過ぎでしたね。

>特殊なソフト
自宅では「親指ひゅんQ」を導入してます。
一昔前なら職場のPCにこっそりインストールして職場での導入も計れたものですが、
近年のセキュリティ意識の高まりで、勝手にソフトのインストール等ができなくなりつつありますので、
親指シフトが世間で「標準」と認知されない限り、この点でのハードルは今後も上がり続けるのかなぁと思っています。

>習得コストは一過性
http://plaza.rakuten.co.jp/kodeken/diary/200811210000/
練習し始めた頃はそう思ってましたが、中々身に付きませんで億劫になってしまいました。
http://plaza.rakuten.co.jp/kodeken/diary/200811240000/
はてはストレスでキーボードにあたったり。
もうちょっと時間をかけて粘り強く取り組まないといけないんでしょうけど・・・。
ちなみにこのコメントも、
「よし、久しぶりに親指シフトで入力してみるか!」と親指シフトで入力してたんですが、
途中で挫折してローマ字入力に切り替わっているというダメっぷりです。

「高いキーボードに買い換えたら、打鍵感が軽くなって快適になった!」等、物に金をかけて効率化を図るっていうのは、コストや効果が分かりやすいですし、買ってみて「意外と使い心地が悪かったなぁ」っていう場合でも、ロスになるのはそのキーボード代だけなんですよね。

一方で「親指シフトを習得して作業を快適にしよう!」等、技術習得による効率化を図ろうとする場合、「どれだけ投資しなけりゃならないのか」「どれだけ投資したら、どのくらいのレベルまで技術向上が期待できるのか」というのが見えにくい上に、「習得できなかったら今まで投資したコストがパー」という、ある意味、ギャンブル的な要素すら含んでいると言えると思うんですよね。

そういう点では、現状に「とりあえず満足している」っていう人は手を出しにくいんじゃないかと思います。

>記号が入力しにくい
自分が参照しているキー配列表にはカギカッコが無かったので、カギカッコを入力するときにはローマ字入力に切り替えて入力してました。
コレについては多分、自分の勉強不足でしょうね。


正直、親指シフトはもう封印しようと思っていたんですが、ここでコメントを頂いたのも何かの縁かと思いますので、また時間をかけてボチボチ練習してみようかと思います。

投稿: こでけん | 2009/07/17 01:10

こでけんさん、こちらにお越しいただきありがとうございます。

このコメントも大変ありがたいものです。なぜかといえば、親指シフトを考える場合の重要な論点がいくつも含まれているからです。

>特殊なキーボード

いや、特殊であるのは間違いないでしょう。親指シフトを使っている人が「特殊」という言葉で気分を悪くするといったことはありません。少なくとも私はそう言われても何とも思いません。私が鈍感なだけかもしれませんが。

ただ、これは相対的な話で、親指シフトが標準になってしまえば「普通の」キーボードが「特殊」になってしまうわけです。現実をきちんと把握することは大事ですが、それをどのように位置づけるかは考え方によるわけで、親指シフトキーボードが特殊であることがその本質的な特性であるか、と言われるとそうではない、ということなのでしょう。

>特殊なソフト

実務的にはこれも困った話で、私も以前は職場のパソコンにJapanistがインストールされていたので、USB親指シフトキーボードを勝手につないで親指シフトにしていました。それがJapanistが外されてしまい、勝手なソフトのインストールもできないとなって結局しょうがなく職場ではローマ字入力をしています。

「親指シフトが世間で『標準』と認知されない限り、この点でのハードルは今後も上がり続ける」というのはその通りだと思います。

>ある意味、ギャンブル的な要素すら含んでいると言える

これも今の状況ではそう言わざるを得ないでしょうね。コストと言う面で私が問題提起しているのは、親指シフトの「将来のコスト」です。親指シフトを覚えたとしても、将来それが使える環境がなくなってしまえば、そのコストはキーボードの貨幣的コストや習得コストどころではなく、無限大になってしまいます。

親指シフトを使うことをためらわせている原因がここにあるとするならば、それを取り除くようにする必要があります。すなわち、将来的にも親指シフトが使えるような環境を社会的に維持していくことです。もちろん、それは個人や現在の親指シフトコミュニティーだけでできる話ではなく、より広範な社会の支持を受けなければ不可能です。親指シフトコミュニティーのすべきことは、これなのではないかと私は考えています。

>ここでコメントを頂いたのも何かの縁かと思いますので、また時間をかけてボチボチ練習してみようかと思います。

私のコメントが親指シフトを再考するきっかけになったとすれば大変うれしいことです。

なお、私やその他の親指シフトユーザーの経験、また、一般的に何か技術を習得する場合のコツとして、ある程度集中してやってみると覚えが速いということも言われています。そうした環境を作るのは大変かもしれませんが、できましたら試してみてください。成果を楽しみに待っています。

投稿: 杉田伸樹(ぎっちょん) | 2009/07/17 23:03

杉田伸樹(ぎっちょん) さん、こでけんさん

わたしは一ヶ月ほど前に、富士通のネットブック FMV LOOX M
http://www.fmworld.net/fmv/pcpm0904/biblo_loox/lm/info/index.html#anc011
を買いました。

考え方として、外部で入力するつもりが無かったのですが一応親指シフト化に挑戦したら、右下の「,./」あたりのキーが小型化されていて、親指化を断念しました。

そんな経緯の上で、お二人の記事を読んでますとなかなか面白い。

    >・一般の人はローマ字入力で不自由するほど文書を書かない

    >確かにそうかもしれません。ただ、コンピューターを使って
    >文字を入力する作業にかける時間×人数は昔に比べたら
    >大きく増大しているし、これからも増加し続けることでしょう。

ここは以前から杉田さんとわたしの意見がずれているところなのですが、この部分を読んで自分自身があまり整理していなかったことに気づきました。

まずこの部分についてですが、

    >コンピュータを使って文字を入力する作業にかける時間×人数は
    >昔に比べたら大きく増大しているし

コンピュータを使うことが全体として激増しているのですが、文字を入力する機会は相対的に減っているでしょう。
社会全体の文字入力は増えているでしょうが、これを強調してもねぇ・・・・。
まして、個人にとでは日本語の長い文章を入力することも、使用するアプリによっては極めて少ない場合もあります。
必要なのは、コンピュータを操る能力であって、そういう意味でも文字を入力する機会は減っている。

しかしわたしは、その短時間の日本語入力は短時間であるがゆえに楽に入力したい、と LOOX M で考えたのだと、今になって気づきました。

つまり「量ではなくて、必要性=性質=質」の問題になってくるのではないか?

    >「使いやすい」という多分に客観化しにくい基準を売りにしているのが
    >親指シフトを売り込む際の大きな壁になっているのは認めざるを得ないでしょう。

ここに直結するわけですな。親指シフトのキャッチは
「ちょっとでも楽をしたい人にお勧め」とかになるのでしょうか?(^_^)

わたしは、杉田さんと「文字入力は減っている」という議論にしているのですが、説明として「その少ない日本語入力を楽をしたいのだ」で親指シフトの推進には充分に有用でありましょう。

実は、わたしはNECのタブレットPCを持っています。
この機械はキーボードがありません。
そして、タブレットPCはマイクロソフトが重点的に推進した仕様です。
つまり、マイクロソフトはPCの将来像にキーボーレスを考えていたのだと思います。
しかし、一般化はしなかった。多くの人は「キーボードが無いのはさすがに不便だろう」と思ったのでしょう。
しかし、わたしはいまだに有効に使っています。プレゼンテーションに最強の機械であります。

つまり、わたしの見解ではマイクロソフトが「キーボード無し」のPCがもっと受け入れられると考えた根拠として、キー入力以外の仕事が大幅に増えてキーボードを使っている暇など無い、ということであればそれはかなり正しかったと思います。

その見方の一つが、こでけんさんが書かれた「一般の人はローマ字入力で不自由するほど文書を書かない」という意見がある程度以上の説得力を持って訴えかけてくるところです。

もちろん、わたしの見方は「文字入力は減っていないが、それ以外が何倍(何十倍)にも増えた」というものです。
単純に、減っていないのだが他が増えたから目立たなくなった、ということでしょうね。

たまたま、今ごろになって読んでいるのが「ザ・ゴール ― 企業の究極の目的とは何か」なのですが、重点は

    >全体最適化の考え方を一言で説明すると,ある部分だけに着目して
    >最適化をしても,決して全体の最適化にはつながらないというものだ。
    >工場で,ある生産工程を最適化して効率を追求したとしても,
    >次の工程が滞ってしまえば生産性は落ちる。
    >では,次の工程を最適化すればいいかというと,前の工程とのつながりを
    >無視していれば結果は同じである。
    >つまり一番大切なのは,常に全体を見てゴールに近づいているかを
    >基準にしなければならないということである。
    >そして,その中でボトルネックを見つけて,全体の中の一部分を必要に応じて
    >最適化すべきだというのが「全体最適化理論」である。

この話そのままではないのか?と感じています。

キーボード入力は、PC操作の中では能率が悪いものですから、キーボード入力速度のコンテストは意味があります。
しかし、現代はそんなことをやっていない。
他の部分が増えたから、キーボード入力速度が何倍か違っても結果に差が出ない時代になったのだ、と考えれば問題にされないことが説明できます。

そうなると、PC利用全体の効率化の中でキーボード入力がどう問題になるのか?となりますが、この時に「ちょっとでも楽をしたい。少しでも時間を縮めたい」ということであれば「親指シフトがありますよ」という提示は受け入れられるでしょう。
それをキーボード入力速度が二倍になりますとか言っても「それがどれほどの問題だ」と反撃されて終わってしまいます。

酔うぞ拝

投稿: 酔うぞ | 2009/07/22 21:37

酔うぞさん、コメントありがとうございます。なかなか難しい(笑)。

コンピューターを使う中で文字入力の占める位置がどの辺にあるかという議論かと思います。もちろん、これはどんな作業をするか、どんな環境にあるのかというのに依存するわけなので、確かなことは言えないかもしれません。まあ、私のように音楽を作るわけでもなく画像やビデオの編集をするわけでもないのは、文字入力だけが突出した作業になっていますが(笑)。

大事なことは「コンピュータを操る能力」だというのはおっしゃる通りです。

文字入力の占める割合が少ないとしても、私が強調したいのは、文字入力という作業の持つ基礎的技術としての性格と、それに関連して、ほとんど誰もが使うという普遍性です。社会性と外部経済が働く分野なのだから、良いものを選んで使うことが意味があるはずだ、という議論を私はしています。

酔うぞさんのおっしゃられる「その少ない日本語入力を楽をしたいのだ」というのは分からないでもないのですが、うまく説明のしようがない。特に他人に勧める際の議論としてはうまく働かない気がします。それよりは、前段落に書いたような議論の方が説得的なのではないかと思います。その論拠として「使いやすい」という多分に客観化しにくい基準を使うとしてもです。

いずれにしてもリアル世界を変えるのは難しいし、思った通りに動くとも限らない。それでも少しずつは変わるように努力はし続けるということなのだと思います。

投稿: 杉田伸樹(ぎっちょん) | 2009/07/24 21:17

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