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2009/03/01

Re: 親指シフト=NICOLA配列(@総角)

親指シフトの本質と普及の戦略。
http://agemaki.cocolog-nifty.com/blog/2009/02/nicola-e471.html

親指シフトという入力方式は通常NICOLA配列のことを指す。

(中略)

しかしNICOLAではない親指シフトの登場は親指シフト採用への結束力を弱める。
様々な派生型が登場してしまうと親指シフトの標準化はますますあり得なくなってしまいかねない。

(中略)

そしてNICOLAの改良型親指シフトなどと謳われるとNICOLAが未熟または欠陥ありとされてしまい、かえって足を引っ張ることになりそう。

(中略)

あまり細かく追求しすぎると多くの人は退いてしまうから、親指シフトはNICOLA配列だけでいいし、NICOLA配列の普及が先決なのだと思う。

少し省略しすぎて分かりにくいかもしれません。その場合は原文を参照してください。

親指シフトという入力方法にはいろいろな要素が含まれています。親指シフトキーとの同時打鍵という考え方、それによりキー選択の可能性が増えたこと、使用頻度等を考慮した文字の割り付け、仮名漢字変換システムの考え方などです。

これらのうち、どれが重要で本質的なのかというのは、人により考え方は異なります。私自身は、一番大事なのは、人間の生理に自然な親指シフトキーとの同時打鍵で無理なく割りつけられる文字の数を90にまで増やしたことだと思っています。これが最も大きな貢献であるとともに、応用可能性を最も広げたものだと考えます。

文字のキーへの割り付けも一つの重要なポイントです。しかし、これはいくらかの改良の余地があるのではないかということで、そうした改良案を提案している人もいます。こうした人は「配列屋」と言うそうです。

私自身は配列そのものをいじることはあまり興味はなかったのですが、最近ひょんなことで配列屋の仲間入りをした(笑)こともあり、少しは配列のことを言っても良いかなと思っているところです。

私がなぜ配列そのものに興味がなかったかといえば、先に述べた親指シフトの最大の貢献に比べれば配列の改良による利益はそれほど大きくないのではないかという疑問があるからです。

確かにそれぞれの改良案は、それなりの考え方にもとづき、使いやすさなどの面で工夫をしているようです。改良のメリットについてもさまざまな面から検討がされています。

それでも、私はそれらの改良が親指シフトの最大の貢献に比べて重要であることには納得していません。キーボードユーザーの大多数が親指シフトという方法を知らずにいるという現実からすれば、親指シフトのセールスポイントをぶらすことはあまり得策ではないとも考えます。

また、NICOLA配列自身もそんなに悪いものではないと考えています。

こういうたとえが適当かどうか分かりませんが、文字配列をいじることは、改造車を作る、あるいは、F1用の車を作るというようなものなのではないかと考えます。確かに、それによりパフォーマンスは上がるかもしれません。また、そうした試みが将来の技術革新につながるのかもしれません。

ただ、普及活動(社会的な認知を得ること)というのはそれだけではないはずです。改造車やF1カーをそのまま、公道で走らせて良いとは誰も思わないでしょう。安全性や誰が使っても問題ないといった観点も考慮しなくてはいけないはずです。

そうしたことから、私は文字配列をいじることにはあまり熱心にはなれないのです。また、引用にあるように親指シフトのセールスを弱めることになるという点もその通りだと考えます。

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コメント

久しぶりに爆笑させていただきました。惜しむらくは、引用元の方はこれだけの大ネタをどうしてあと1カ月我慢できなかったのか、と。それだけが残念でなりません(笑)。

閉じた世界で自己完結した話には興味ないので、本日は茶々入れのみで失礼します。

投稿: 141F | 2009/03/01 22:41

 うーん……ぎっちょんさんがこの方向で引用し、なおかつ記事をお書きになるとは、正直言って驚きました。
 「親指シフトウォッチ全体」での言及方向を知らずに、仮にこの記事の文面「だけ」を見て私が意見をしてしまった場合、それこそ以下のようにコメントせざるを得ないような気がしています……。

─────────
 私にとって、4ヶ月使ってきたNICOLAは「安全性に問題がある」ように思えました。だから飛鳥に移行しました。
 そして、飛鳥では(私にとっての)忘れにくさを確保することが出来なかったので、結局は自力で微調整を行いました。
 相沢かえでという一人の人間にとっては、NICOLAも飛鳥も同じく【安全性や、あるいは誰が使っても問題ないといった条件】を満たしてくれなかったのです。
─────────

 ……なんというか、この記事には「ぎっちょんさんがおっしゃりたいこと」そのものが、うまく表現されていないのではないか……と感じました。

 通常言及されているスタイルとして「市販製品があり、推計数十万人のユーザ層があり、豊富な利用環境が揃っていること」に関する記事を書こうと思えば、元記事からでもスムーズにレスポンス記事を起こせたのではないでしょうか。
 私は、そのあたりがとても気になりました。

 それと、私個人としては「けん盤配列に関する、車検制度や軽車両扱いのようなもの」が必要だろうと考えています。

投稿: 相沢かえで | 2009/03/02 01:26

141Fさん
コメントありがとうございます。

>どうしてあと1カ月我慢できなかったのか

カレンダーを見て納得。いや、今回のは予告編で本番を楽しみにしていてください(笑)。

>閉じた世界で自己完結した話

が何を言いたいのか分かりませんが、もしNICOLA配列に関してだとすれば、それは当を得ていません(私の書き込みがそのようにしか読めなかったとすれば、それは私の文章のまずさで私が責任を負うべきですが)。

私の言いたいのは「親指シフトで何が大事か」ということなので、配列のことだけを偏重して取り上げることはいかがなものかというものです。配列の話に矮小化してしまうのは、それこそ「閉じた世界で自己完結した話」だと思っています。

141Fさんのブログのエントリーには別途コメントします。

投稿: 杉田伸樹(ぎっちょん) | 2009/03/02 21:37

相沢かえでさん
今回のエントリーには配列屋さん(私も仲間入りしましたが・・・ってしつこい)から声があがるだろうとは予想していました。

とはいえ、私自身はこれまで言っていたことと矛盾したことを言ったとはまったく思っていません。

かえでさんの書かれたことで一つ気になることは、かえでさんはNICOLAをどのようなキーボードで試されましたか。私のかすかな記憶では、JISキーボードをお使いになったと思います。また、その後、専用キーボード(KB661?)を購入されてNICOLAを使ったときに、最初から専用キーボードでNICOLAを使ったならそのまま使い続けただろう、といったことを書かれていたような気がします(間違っていたらすみません)。

専用キーボードに関しての議論は確か141Fさんのところに1年ほど前にコメントしました。私の議論のポイントは、親指シフトの最も重要なポイントは人間の生理的構造に関するものなのだから、人間と物理的に接触するキーボードも物理的構造が大事である。だから、そのようにデザインされた専用キーボードでなければフルポテンシャルは発揮できない、というものでした。

反対に言えば、例えばJISキーボードによるエミュレーションでNICOLAが使いにくい、という言い方については「想定外のことをしているのだからそう言われてもね」との反論はあり得るのだと思います。

こうしたもろもろのこと、そして、一方でかえでさんが指摘するような「市販製品があり、推計数十万人のユーザ層があり、豊富な利用環境が揃っていること」もあるので、あえてNICOLA擁護のエントリーにしたわけです。

投稿: 杉田伸樹(ぎっちょん) | 2009/03/02 21:55

いささか乱暴なコメントで失礼しました。

「閉じた世界で自己完結した話」と表現したのは、目の前で起きていることを直視しようとせず、自分にだけ都合の良い結末を未来予想図としてしまうのは、単なる絵空事・妄想でしかないということを指摘したかったんですよ。現実を見ない、見ようとしない方には、未来は描けません。

Nicola が親指シフト系日本語配列のスタンダード(≒懐メロ的な意味も含めて)であるということに異論を挟むつもりはありませんが、「Nicola を使いさえすれば全て解決」みたいなセールストークが未だに通用すると信じている「思考停止」が、何とももったいないと常に思っています。状況が変われば戦略が変わってしかるべきはずなのに、平成21年の現在も昭和と同じことを繰り返すだけで、試行錯誤や創意工夫が全くない。しがみついているだけで精一杯な姿は、滑稽を通り越して憐れです。

Nicola にはまだまだ頑張ってもらわないと私も困ります。「親指シフトの火を消さないために」と書いた気持ちは、未だに揺らいでいません。親指シフト原理主義者に与する今回のエントリーは、ネタとしては爆笑物でしたが、これがぎっちょんさんの本音だとするなら、ただただ残念ですと言うしかありません。

懐メロを最新ヒットだと偽ったところで、ユーザは簡単には騙されません。世代を越えて誰からも愛されるスタンダードとなるために、Nicola コミュニティは何をすべきなのか。まずはオバマぎっちょんさんに Change! と叫んでもらいましょうか(笑)。

投稿: 141F | 2009/03/03 00:25

 これは配列作成者であるわたしにとっては心地よく聞けない話ではありますが、ローマ字入力でもかな入力でもない配列が普及してほしいと思っているのなら、心して受け止めなければならない話だと思います。「NICOLAは安全性に問題がある。それ以外の配列も安全性に問題がある」と言われれば、「じゃあそんなリスクのあることはやめてローマ字入力のままでいいや」と思うのが普通だからです。
 本来、配列の選択肢が増えることはローマ字入力やかな入力以外の配列を選択する動機が増えることつながるはずなのに、逆に調べれば調べるほど手を出してはいけない分野に思える雰囲気が配列界にあると思います。

投稿: kouy | 2009/03/03 21:09

141Fさん

「現実を見ない、見ようとしない方には、未来は描けません。」「状況が変われば戦略が変わってしかるべき」というのは、まったくその通りで、というよりまさしく私が言いたいことです。

親指シフトというのは、いろいろなものと抱き合わせで考えられてきました。例えば「親指シフトはワープロ専用機OASYSでないと」といった言い方です。しかし、ワープロ専用機という製品ジャンルは消えてなくなってしまいました。それでも親指シフトは残っています。つまり、ワープロ専用機というものがなくなっても困らない人が多いのに対して、親指シフトの方はそうではなかったということです。

だから、これから環境が変わる中で親指シフトの何が重要で何がそうではないかということはいつも問わなければならないし、それが分からないのだったら親指シフトはサバイブする価値がないということなのでしょう。

哲学的になるつもりはないのですが、サバイバルとは不変と変化の両面がなければ不可能なのだと思います。そのどちらが実際に必要なのかはまさしく取りまく環境がどうなっているかということによるわけで、サバイバルのために常に変化していないといけないというのは少し違うのではないかと思います。

脱線ついでに少したとえを続けます。タケは100年に一度(最近この表現をよく聞きますが(笑))くらい、花を咲かせて実をつけて枯れるのだそうです。それまでは地下茎を伸ばしていくという無性生殖で増えていきます。無性生殖はクローンの様なものですから、基本的に変化はありません。有性生殖は変化の可能性が大きくなります。つまり、長い間変化をせずに生きてきて、ほんのたまの機会に変化をする(かもしれない)という生活様式で生き延びてきています。

反対に、人工的な品種改良のように淘汰圧が高ければ、変化のスピードは速くなります。

このどちらが選択されるかは、環境によるわけで当初からどちらが良いかとは言えないわけです。

私は、141Fさんが「Nicolaにはまだまだ頑張ってもらわないと私も困ります。」というのと同様に「配列屋さんはいなくなってもらっては私も困ります。」ということを言いたいです。それだから自分が配列屋になったということでもないですが(笑)。

親指シフトというのは多くの変化の可能性を秘めたものです。でも、実際にそうした変化を実現することが直接的にサバイバルに役立つとは必ずしも言えないというのが私の考え方です。

親指シフトのサバイバルに関して言えば、配列の問題は少なくとも今の状況では大きな要因であるとは私は思っていません。だから普及に当たっても変える必要がないというのが私のセールスマンとしての現実的な判断なのです。

投稿: 杉田伸樹(ぎっちょん) | 2009/03/03 23:09

141Fさん

書き忘れました。

Change!としなければならないのは、おそらく親指シフトコミュニティーの社会とのかかわり方なのでしょう。リアル世界を変えるために必要なものとは何かについての知識と覚悟です。こうしたことをきちんとやったとしてもリアル世界が変わるかどうかは完全に予想はできませんが。

投稿: 杉田伸樹(ぎっちょん) | 2009/03/03 23:21

kouyさん、コメントありがとうございます。

新規参入をしようとするならば、既存のものとの比較でどのように優れているかをきちんと説明できなければいけないし、問題があるのだったらそれがどのように回避されているのかということもきちんと説明できなければいけないのは当然でしょう。そうした努力をきちんとしなければそもそも相手にされないわけです。こうした「世間的知恵」もリアル世界では重要ですね。

投稿: 杉田伸樹(ぎっちょん) | 2009/03/03 23:27

 「親指シフトキーボード」の話が出ると、私は正直言って泣きたくなるのです……配列部分以前に「(私にとって)常用に耐えるNICOLAキーボード」を入手できた試しがないので、「NICOLAはNICOLAキーボードを使って評価せよ!」という議論をされると、私はその土俵には立てないのです。
 日記では分散記述しているのでわかりづらいのですが……KB231、661EV、HHKBキットのそれぞれに色々とあって、いずれも「試用段階で除去」しています。
 KB232については、(店長さんに宣言してきた都合上)ShopUさんで取り扱いを開始した時点で試してみたいと思います……これはさすがにハードウェア的な問題はないと思うので、この時点でNICOLAについての再評価打鍵をしてみたいと考えています。

 うーん……ShopUさんに断りを入れてでも、即時入手してチェックするほうがよいのでしょうか……。

投稿: 相沢かえで | 2009/03/04 00:23

私も話を脱線させすぎました。最初に感じた違和感に話を差し戻します。このエントリーの引用元の主旨は、

・自分の利益、自分の正義のために、他人の自由に制限を加えるべきだ。

というものでした。引用者であるぎっちょんさんがこれを是認したと読めるからこそ、私は茶化しながらも No と主張しました。

この1点についてのみ、回答を求めます。

投稿: 141F | 2009/03/04 01:07

かえでさん

一般的に言って、道具の選択が難しいのは、最初にはじめるときとプロレベルになってからなのだと思います。だから、最初に納得できるようなものが得られなかったのは残念としか言いようがありません。ただ、反対にそれだからといってNICOLAが問題だということではないというのが私の考えです。

141Fさん

「自分の利益、自分の正義のために、他人の自由に制限を加えるべきだ。」ということに賛成する人はほとんどいないでしょう。しかし、私が引用した文章、あるいは私の書いた文章でそんなレベルにまで達するような物言いがあるのでしょうか。

配列屋は配列を作り続けますし、使い続けます。ここでの文章がそのような行動に影響を及ぼすとはとても思えません。配列屋さんはそんなにやわですか?望まれなくてもアラビア語やヒンディー語の配列を作ったりするぐらい(え、そんな馬鹿なことするのはお前だけだって、こりゃ失礼しました)暴走するのが配列屋だと思ってましたが。

私が言いたいのは、親指シフトのセールスマンとして自分の使えるリソースを振り向けるのに配列の問題はプライオリティーが低いので、現有のものを勧めるのが普及のための戦略、戦術として適当だと思っている、というだけのことです。それ以上に、配列屋がけしからんとか思っているなどとんでもないことで、「配列屋さんはいなくなってもらっては私も困ります。」というのは私の本心なのです。

投稿: 杉田伸樹(ぎっちょん) | 2009/03/04 22:48

ぎっちょんさんの主張が従前とぶれていないことが確認できました。今回の件でこれ以上の言及はいたしません。ありがとうございました。

投稿: 141F | 2009/03/05 00:20

141Fさん
今後もぜひお寄りください。

投稿: 杉田伸樹(ぎっちょん) | 2009/03/06 00:02

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