Re: 勝間和代さんに物申す 親指シフト(@司法書士小林亮介の日々勉強)
親指シフトを使わない理由は何なのだろうか。
http://sihoukobayashi.blog95.fc2.com/blog-entry-415.html
親指シフト自体は、私も、10年以上前から知っていた。
しかし、今まで使ったことがなかったし、使おうとも思わなかった。
それはなぜか?
たしかに、日本語の入力方法としては、優れているかもしれない。
しかし、グローバルスタンダード(日本語の入力方法なので、ジャパニーズスタンダード?)
ではないところに問題があると思う。親指シフトを極めてしまうと、自分のパソコンではないパソコンを使う際に、
逆に入力に不便を感じてしまうのではないだろうか?
もちろん、2つの言語を操るバイリンガルがいるのだから、
ローマ字入力またはかな入力と親指シフトの両方で素早く入力できるようになるのかもしれないが、
それには多大な努力が必要なのではないだろうか?また、万一、親指シフトが絶滅した時のことも考えておかなければならない。
現在は、親指シフト専用キーボードや親指シフトを使用するためのエミュレーターが存在しているようであるが、
それらが存在しなくなった場合、親指シフトを使えなくなってしまう。
以前は、親指シフト専用のワープロやパソコンが存在していたようであるが、
現在は存在しない。
親指シフトは絶滅危惧種と言えるのではないか?
親指シフトを使わない理由を書かれています。これにはいくつかの論点があると思いますので、以下分けて論じます。なお、最初にお断りしておきますが、今日の私の書き込みは上記引用を書かれた方に対する批判ということではありません。むしろ、世間一般で考えられている親指シフトに対してのぼやっとした疑問に答えるのにちょうど良い材料になると思うので引用させてもらったと考えてください。
1. 親指シフトがグローバルスタンダードでない
グローバルスタンダードの定義をきちんとしないといけないとは思いますが、確かに世界的に使われているというものでないのは確かです。しかし、それを言えばいわゆるJISかなキーボードだってグローバルスタンダードではありません。五十歩百歩の議論をするつもりはないですが、日本語を使うという時点ですでに世界全体で通用するものでないのは同じといえましょう。
もっと言えば、英語キーボードだってグローバルスタンダードではないはずです。なぜなら、英語を使わないでコンピューターを使うことは、全世界で普通に行われていることだからです。
あえてグローバルスタンダードという言葉にこだわるとすれば、それはユーザーを取りまく環境(使っている言語はその中でも特に重要な要素でしょう)にコンピューターのハードやソフトを適応させるように使っているという現実なのではないでしょうか。
文字の入力方法はその一つの例で、さまざまな言語でいろいろな工夫がされています。多くはハードウェアとしてのキーボードはいわゆる英語キーボードを使っている(この事実を指してグローバルスタンダードと言いたいのだったら別に反論はしませんが、つまらないことだと私自身は思います)ようですが、私の知る限りでは「靴に足を合わせる」という形になっていることが多いように思われます。
2. 自分のものでないパソコンを使うときに困る
その通りです。私自身も、家で使うパソコン以外はローマ字入力を余儀なくさせられています。でも、多くの親指シフトユーザーはそれでも親指シフトがあった方が良いと考えて使っています。そのために、コストがかかったとしても、また、手間隙をかけなくてはならなくてもです。
もちろん、どこに行っても親指シフトが使えるようになれば親指シフトユーザーとしてこんなにうれしいことはないわけです。実際、親指シフトキーボードと必要なソフトをまとめて持ち歩いて出先のコンピューターにつないで親指シフトを使えるようにするといった工夫をする人もいます。
文字入力は人間とコンピューターの接点(インターフェース)の最前線です。いかに技術が進歩したとしても、人間から離れることはあり得ません。一方、コンピューターを使うときのデータやソフトウェアは、どこにあってもよく、実際にデータをネットワークの向こう側に置いてしまう(分かりやすい例ではGmailがそうでしょう)ことや、ネットワークの向こう側にあるソフトを使って作業をする(Googleドキュメントのように)のは普通になっています。いわゆるWeb2.0の考え方です。それでも、ヒューマンインターフェースとしてのキーボードは人間から離れられません。だから、自分の使いやすいものを選ぶ、さらには社会的にも良いものを選ぶことが大事なのです。
料理人はどこに呼ばれて仕事をしに行くにしても包丁だけは持っていくものです。カウボーイは馬を乗り換えても鞍は変えないものだと言います。インターフェースとなる道具に対する接し方はこのようなものなのです。だから親指シフトの筋金入りのユーザーは、どこでも親指シフトが使えるように用意をするのです。例えば、作家の曽野綾子さんは国内外に仕事場があり、そのどこにも親指シフトが使える環境を用意しているそうです。そこまでできる人はそう多くはないでしょうが、そのようにしている人がいるのも事実なのです。
3. 親指シフトは絶滅危惧種か
親指シフトの専用キーボードはパソコン用では現役で販売されているものは、私の知る限り2種類です。親指シフト専用キーボードがついているノートパソコンも2~3種類のようです。こうした状況を見れば、親指シフトは絶滅に向かっていると判断されるのも間違いではないかもしれません。
しかし、このような表面的な現象だけを見てはいけないと私は考えます。親指シフトが使える環境は実は広がっているのです。なぜかといえば、ワープロ専用機の時代は親指シフトを使うということは事実上、富士通のワープロ専用機OASYSを使うということに等しいものでした。かりに東芝のルポの機能が優れているのでそれで親指シフトを使いたいと思っても不可能でした。
OASYSに限らずワープロ専用機という製品ジャンルは消えてなくなってしまいました。一方で、PCは特にハードウェアはデファクトスタンダードの下で、大きく成長しました。これこそグローバルスタンダードとよべるものでしょう。親指シフトはこの中で、ずっと使える環境を維持してきました。現在は、OSで言えば主要なウィンドウズ、マッキントッシュ、リナックスで実用的に使える環境があります。つまり、親指シフトは使おうとすれば事実上、ほとんどのパソコンで使えるのです(キーボードが固定されているノートパソコンについては話は別です)。
考えてみれば親指シフトは約30年にわたり、その基本構造を変えずに生き残っているのです。この間にOSがどんなに変化したかを考えれば、それは驚くべきことなのではないでしょうか。つまり、親指シフトこそがドッグイヤーと言われる変化の激しい環境の中でサバイバルに成功しているのです。もちろん、これが未来にわたって維持できるかは分からないわけですが、少なくとも絶滅危惧種だという見方は当たっていないと私は思っています。
もしかすると、勝間さんは、これらのことを考え、親指シフトがもっと普及するよう、
自らの著書などを利用し、積極的に紹介しているのかもしれない。
勝間さんがどのようなお考えなのかは私にも分かりません。ただ、親指シフトのコミュニティーとしては、親指シフトを使い続けられる環境を維持していくためには何らかの努力が必要だとみんなが感じているのだと思います。自分が使い続けられる環境を維持していくためには、それなりのエコシステムができないといけない、そのためにはユーザーの仲間を増やすことが最も大事な行動であると私は思っています。
なお、グローバルスタンダードということで言えば、親指シフトを日本語以外に使うということを考えられます。具体的な実装までは行っていませんが、少なくとも可能性を示すことはできたと思っています。これも親指シフトのポテンシャルを示すものだと考えています。
親指シフトを世界に
http://homepage3.nifty.com/gicchon/sub14.htm
をご覧ください。
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コメント
トラックバックをいただきました小林です。
実際、私の周囲には親指シフトを使っているという方がいらっしゃらないので、ご意見が大変参考になりました。
>1. 親指シフトがグローバルスタンダードでない
私としては、日本語入力方法としてはグローバルスタンダード
ではない(だから、ジャパニーズスタンダードと言えばいいのでしょうか?)、
という意味で、この言葉を使用しました。
正確なユーザー数は分かりませんが、日本語入力の方法としては、
ローマ字入力ユーザーよりも親指シフトユーザーのほうが圧倒的に少ないという意味です。
>2. 自分のものでないパソコンを使うときに困る
もちろん、どのパソコンを使う際にも親指シフトを使える環境を整備すればよいのでしょうが、
そのためには多大な努力が必要だと思います。
ですから、親指シフトに移行するのに躊躇してしまうのです。
もし、親指シフトを使えない場面では、ローマ字入力やかな入力を使用することになることと思います。
教えていただきたいのですが、親指シフトユーザーは、
ローマ字入力やかな入力をする際、違和感を感じないのでしょうか?
それから、私のブログの記事に書き忘れたのですが、
英語入力の際にも、同じことが言えると思います。
ローマ字入力であれば、アルファベットを使用する訳ですから、
英語入力の際もスムーズです。
しかし、親指シフトユーザーが英語入力をする際は、
親指シフトに加え、英語入力も新たに練習しなければなりません。
それは、ものすごく大変なことなのではないかと感じます。
それとも、案ずるより産むが易し、でしょうか?
>3. 親指シフトは絶滅危惧種か
これについては、考え方の問題であり、結論が出るわけではないですね。
杉田様の考えは大変参考になりました。
仮に、日本語入力方法のうち、どれが最後まで生き残るかということを考えた場合、
私は、現段階では、ローマ字入力だと思っています。
ですから、もし、苦労して親指シフトを身につけたとしても、
絶滅してしまったらと思うと、怖いのです。
投稿: 小林亮介 | 2009/01/30 07:58
1.スタンダードである必要がありません。
OSで言えば、個人はWindowsが優勢ですが、macやlinuxもあります。
2-1.労力(金銭を含む)を払ってでもする価値があります。
2-2.違和感はありますが、問題ありません。車のAT&MTの様な感じです。
2-3.ローマ字入力と英文入力では、全く感覚が異なります。入力している時は、それぞれ別の思考になっていますので、上記の様な感覚はありません。
2-4.普通の親指シフトユーザーのほとんどが、ローマ字入力も出来ます。親指シフト入力は必ずブラインドタッチをしなければなりませんから、逆に英文も楽に打てます。
(思考の記憶と、身体の記憶は別です)
3.少数であれ、生き残る確率は高いですね。
4.練習は、かな入力よりはローマ字入力の方が、ローマ字入力より親指シフト入力の方が楽です。
ローマ字入力を練習する苦労に比べれば、親指シフト入力の方が楽です。
5.絶滅させませんからどうぞ。
(有識者のかなりの人数が親指シフトユーザーです)
投稿: 門松一里 | 2009/01/30 21:50
こんにちは、t_kurihara というものです。
年齢は20代ですが、初めてワープロをさわって以来親指シフターです。私の年代ですと、自分以外の親指シフターを知りません。
>教えていただきたいのですが、親指シフ
>トユーザーは、ローマ字入力やかな入力
>をする際、違和感を感じないのでしょう
>か?
私は理系の研究室に所属していますが、全く不便は感じません。当然英語で論文を書くこともあれば、他の研究機関に行ったときなど、JISキーボードを打つことも多々あります。はっきり言って、全く別物ですね。親指シフトもローマ字も、共にタッチタイピング出来ます。
ローマ字入力で日本語を打つときと、英語を打つときの打鍵は、使っている文字が同じだけで運指はかなり異なっているはずです。しかし、不便を感じている人は少ないはずです。それと同じですね。
投稿: t_kurihara | 2009/01/30 22:50
私はローマ字入力からの転向組なのでどちらでもタッチタイプ可能ですが、日常ほとんど親指シフトなので感覚を切り換えるのに30秒くらいかかる、という感じでしょうか。左利きの人が右手も使えることが多いように、少数派はどちらもできるようになるのでは、と思います。
それはともかく。
これは実にいいエントリーですね。
親指シフターにとっては「親指シフトを使う理由は何なのだろうか」ということを考えるきっかけをくれます。
私が日本語入力を覚えるにあたって(その頃はPC-9801)最初に選んだのはJISかなでした。理由は単純で「タイプ数が少ない」から。多少配列を覚えた時点で友人から「親指シフトという速い入力方法がある」と教わり、その後別の友人から借りたワープロ専用機(当時まだ3行表示とかのポータブル機)が親指シフトだったことで、将来親指シフト入力にしようと決めたわけです。(ここで実機に触れられたことは大きかったのでしょうね。「入力が速い」という程度の評判では「ふーん」で終わっていたでしょう)
その後私は、PC-9801での入力をJISかな→ローマ字入力に切り換えます。
理由は「もし親指シフト入力を覚えられなくても、親指シフトキーボードならローマ字入力もできるから買ったキーボードは無駄にならない」と考えたから。これもあとで考えると当時の自分をほめてやりたい判断ですね。どういう入力方法であれ英字配列は必須でしょうし。その意味では、JISかなを覚えてしまったあとで親指シフトに転向できたかというと、「せっかく覚えたJISかな入力を使わなくなるのはもったいない」とか考えて躊躇したでしょうね、当時の私なら。
そう考えると、私の判断基準は「もったいない」でしょうか。新しい配列の習得コストについても、最初の数週間の習得訓練努力より、一生のタイプ数増加のほうが無駄、と考えました。
しかしまあ、ローマ字入力はなくなれ、というものでもないです。
「らくらくパソコン」発表時の富士通のコメントによると、初心者向けパソコン教室はほぼ100%ローマ字入力を教えているそうです。私はこの方向性は間違っていないと思います。難しい漢字は書けなくてもひらがなさえ知っていればいいというのと同じように、ローマ字入力はPCを操作し日本語を入力するための最低限のリテラシーという位置づけで。それ以上を目指す人だけがかな入力を覚えればいいし、そのうち使われなくなる今のJISかな配列は新JISかな配列と同様に廃止してしまえばいいとまで思っています。
ちなみに、もし親指シフトがなくなったらどうするか。専用キーボードどころかエミュレーターも開発されなくなった世界。
…そうですね。上記「もったいない」精神でローマ字入力には戻らないでしょうし、かな入力が法律で禁止でもされない限りは別のかな入力を使うでしょう。USキーボードでもかな3段で入力できる、「花」とか「月」のような配列を覚えることになるでしょうね。USキーボードはワープロ時代の親指シフト同様、Enterというか改行キーが近いので最近気になっているんですよね。
(このブログで少し前にあった、Enterキー操作の話題を読んで以来です^^)
それより、Windowsでは日本語入力ソフトを開発している会社が世界で実質2社しかない、というほうがよっぽど危機ですよ。それに比べたら、エミュレーターが一人で開発できて実際何種類も出ている親指シフトなんて安泰だと思ってしまいます。
投稿: 43歳(長文失礼) | 2009/01/31 00:25
小林亮介さん
コメントをありがとうございます。もう何人かの方がレスポンスしていて、もしかしたら重なるかもしれませんがよろしくお願いいたします。こんなにコメントがあったことはしばらくなかったので、とてもうれしく思っています。小林さんの書かれたことが親指シフトユーザーの考え方を整理するきっかけになったということで感謝します。
スタンダードという言葉の使い方は了解しました。ただ、私はユーザーベースが少ない(おそらく数パーセントあるいはそれ以下でしょう)ことでスタンダードとなる資格がないとは考えていません。基準にはある種の規範性はあってしかるべきだと思っているので、その意味で親指シフトはスタンダードとしての資格はあると考えます。
他の入力方法を使う際の違和感についてですが、私はJISかな入力はできないのでローマ字入力についてだけ述べます。ローマ字入力でもタッチタイプはできますし、記事で述べた通り家以外ではローマ字入力を使っています。私が感じるのは、違和感というよりは「まどろっこしい」という感じです。もっと言うと使っていて不自然な感じです。うまいたとえかどうか分かりませんが、物を持って歩くときに、親指シフトはバックパックにうまく詰め込んでさっさと歩くのが、ローマ字入力だと両手に買い物かごや袋を下げてよっこら歩いていく感じです。親指シフトと他の入力方法を併用している人がみんなこの様に感じているかは分かりませんが、圧倒的に少ないシェアの方法を使い続けている人が結構いるという事実だけでも、親指シフトを使いたいという気持ちが強いことは確かでしょう。もし両者を併用していて、親指シフトの方が使いにくいと感じるのだったら、すっぱりあきらめてローマ字入力だけにしてしまえば良いわけですから。
英文入力に関しては、他の方も書いておられますが、まったく別のものという感じです。ローマ字入力をしていると英文入力の助けになるということに関しては私は否定的です。アルファベットの位置ということでは共通かもしれませんが、文字の出現頻度、文字のつながり具合など、ある程度のスムーズさ以上でタイプしようとする場合に考慮の対象となるパラメーターはローマ字入力と英文入力では大きく異なります。もちろん、ぽつりぽつりとキーを探しながらタイプをする程度ならアルファベットの位置を知っていることは役に立つかもしれません。
さらに言えば、ローマ字入力と英文入力では中途半端に共通部分があるためにかえって紛らわしくて間違えるという意見もあります。「コンピューター」を入力するのに「computer」と入力してしまうということを言う人もいます。実際、最近の日本語入力プログラムでは確か「computer」の入力でも「コンピューター」に変換してくれるといった機能がついていたと思います。
私自身も結構まとまった量の英文を入力することがありますが、親指シフトを使っているときの方がすっぱり頭を切り換えてできるので混乱しない気がします。
親指シフトの将来については、もちろん誰も予想できるわけではないですが、私自身は楽観的です。記事でも書いた通り、これまでも生き延びてきたのだし、実際使える環境は広がっていると見るのが適当だと思うからです。
投稿: 杉田伸樹(ぎっちょん) | 2009/01/31 10:42
門松一里さん、t_kuriharaさん、43歳さん
コメントありがとうございます。小林さんのコメントに対してもかなりの部分、答えてもらった感じでありがたいです。
その上で、お三人のコメントを見ていると、親指シフトユーザーの共通の思いと同時にその中での多様性も感じています。ひとそれぞれですから当然のことといえば当然ですが、「親指シフトユーザー」ということで簡単にくくってしまうことの危険性を改めて認識しました。考えてみれば「ローマ字入力ユーザー」と言ったって一括りにできるわけではないわけなのは当たり前で、その当たり前のことが親指シフトユーザーにも言えるということは、親指シフトユーザーだってそれなりの厚みを持っているということなのかなと思います。
それにもかかわらず、親指シフトを使いたいという気持ちは共通に持っているわけなので、コミュニティーとしてはこの共通部分をどのように生かして広げていくかという戦略が必要なのでしょう。このブログが少しでも役に立つならばそれはうれしいことです。
他の親指シフトユーザーもぜひ議論に参加してもらいたいですね。
投稿: 杉田伸樹(ぎっちょん) | 2009/01/31 11:52
勝手に適当に書き逃げ?
失礼します!
<親指シフトユーザーは、
ローマ字入力やかな入力をする際、違和感を感じないのでしょうか?
親指シフトユーザーからすると、まった
く感じません!!
携帯で入力する時やテプラで入力する時のほうがまだ違和感があります!
(それでもごく僅かでしょ!)
電卓と電話で数字の配列がちがっても
無意識に対応しているレベルです。
個人的勝手な思い込みですが携帯電話のSONY製ジョグダイアル以外を使
えない私がストレス無しに使用できているので世間様なら、まず問題無しだ
と思います。
投稿: Kutz-chang | 2009/01/31 14:48
小林亮介さんが「キーボード入力の標準化」のようなところに視点があるのを見て「1990年頃に見たな」であります。
実は、親指シフトこそを成果標準にしよう、と強烈に運動した方が居て、それは反親指シフト運動生みだした、とも感じています。
しかし、その後携帯電話の入力が普及して、最近では若い人の中に「PCで入力するよりも速い(慣れの問題ですね)」という人も居ます。
要するに、スタンダードなんてものは幻想でしょう。
同様に「自分専用でないPC」論も1990年頃にさんざん出ていますが、キーボード論を突き詰めていくと、自分の辞書じゃないということになり、さらにはワードと一太郎といった同種で違うアプリケーション、同じアプリのバージョン違い、といったことが出てきて、これも「標準化を主張する意味がない」になりました。
こんな事を考えると、ユーザーつまり消費者の目を鍛えることこそが重要であって、基本的には「選択肢を減らすべきだ」という論は、極めて慎重であるべきだ、と思います。
投稿: 酔うぞ | 2009/02/01 13:16
Kutz-changさん
携帯での入力は私は慣れません。あ、Rboard for Keitaiで親指シフト入力なら別ですが(笑)。
酔うぞさん
20年近く前と同じ議論が出てくるのは、世の中が進歩していないと見るのか、それともこの問題は古くて新しく議論の余地が常にあると見るのか、どちらが良いんでしょうかね。
「スタンダードなんてものは幻想」というのは分からないでもないのですが、そこまで割り切る自信もありません。何らかの点で社会が共有できるものを作り上げるということには依然として意義があると私は思っています。そうでも思わないと親指シフトの普及活動なんてできない(笑)。
1990年頃の親指シフト標準化運動(?)については私はそれほどのものがあったとは気づきませんでした。私が親指シフトのOASYSを買ったのは1988年の暮れごろで、すぐに親指シフトの良さは分かり、それなりに情報は集めていましたが、反親指シフト運動が生まれるほど強烈だったとは知りませんでした。
投稿: 杉田伸樹(ぎっちょん) | 2009/02/01 14:13
杉田様
「親指シフトユーザーの多様性」ですか。私はそんなに変なことを書いたのでしょうか(笑)。20年ほど親指シフターをやっていてNifty-Serveワープロ通信の頃から情報だけは集めてましたが、コミュニティーへの参加みたいなことはこのエントリーへのコメントが最初だったりしますので「親指シフトユーザーのステレオタイプ」のようなものはイマイチわかりません。
小林さんの最初のコメント(親指シフトユーザーの英字入力問題)、および「多様性」に関連する話ですが、昔はこんな人もいました。
『ワープロコンテストに優勝するほどの人なのに英字配列を覚えていない』
どうしていたかというと、“A”を「えー」で単語登録。「ローマ字かな漢字変換」ならぬ「かな英字変換」ですね。今こんなことをする人はいないでしょうが、「配列を覚えていれば1ストロークで入力できるものをわざわざ」という感覚はローマ字入力のまどろっこしさそのものです。(今試してみたら、Japanist2003は「えー」で変換できる…)
「ローマ字入力者」も実は多様です。Rubyの作者まつもとゆきひろ(Matz)氏は、JIS日本語キーボードをASCII配列にして、日本語入力での配列は「きゅうり改」。
まつもとゆきひろのハッカーズライフ:第2回 キーボードへのこだわり (2/2)
http://www.itmedia.co.jp/enterprise/articles/0704/24/news006_2.html
考え方としてはM式に近いでしょうか。かな入力者の自分からすると「英字入力と混同しないのかな」と一瞬思いますが。
これを見てもやはり「英文入力」と「ローマ字による日本語入力」は違うというのがわかります。
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「反親指シフト運動」は……私が覚えているのは、PC雑誌に「親指シフトはやめたほうがいい」調の記事がある時期集中的に掲載されたこと、くらいですか。それらの記事についての親指シフター側の反応は見たことがないので、一種の「タブー」になっているのでしょうかね。なにせ私はコミュニティーとは距離を置いていたので。このブログの過去のエントリーにもある「○指シフト」「偏見の目で見られる」といった“ネガティブなスタンス”の文言はそういう時代の影響? 移り変わりのはげしいPC関係の規格・方式のなかでもこういう扱いをされるモノは少ないですよね。裏ではかなりの暗闘が繰り広げられていたとか?
親指シフト普及を考えようとすると、その頃の経緯の把握は必要なことなのかもしれません。
って、このコメント自体がタブーに触れているような気がしてきました。自重しないと反親指シフト団に消されてしまう。このへんでそろそろまた“モノ言わぬ親指シフター”に戻るとしますか。
投稿: 43歳(また長文失礼) | 2009/02/01 20:39
>裏ではかなりの暗闘が繰り広げられていたとか?
まあ、
二階に駆け上がったらハシゴを外された。
といった感じですね。
一番の問題は、種々の方式の共存ではなくて、標準化と称する独占を目指したことだと思います。
投稿: 酔うぞ | 2009/02/02 09:10
43歳さん
「多様性」というのは大したことではなくて、単に親指シフトユーザーの考え方もいろいろだという程度のことです。
「反親指シフト」については、私自身は鈍感なのか何を言われても平気なんですが、間違ったことが世間に通用するのはいかがなものかという義侠心(?)がないわけでもないといったところでしょうか。
まあ、そういうことで「物言う親指シフター」にも時々はなってください(笑)。
酔うぞさん
リアル世界のことを変えるのだったら、それなりにリアル世界の仁義は守ってもらわないと相手にされなくなるでしょう。具体的にどうだったのかは知りませんが「二階に駆け上がったらハシゴを外された」という思いを人にさせているのだったらうまくはいかないでしょうね。
投稿: 杉田伸樹(ぎっちょん) | 2009/02/02 22:26
たまたまこのサイトを見ました。すでに終わった議論かもしれませんが、ちょっとだけ感想をば。
私はOAsys Liteからの親指シフターです。元はと言えば、梅棹忠夫の『知的生産の技術』記載のひらがなタイプライターが出発点。快適な入力環境を求めた結果、親指シフトにたどり着きました。
さて、一連の議論の中で、ひとつだけ気になったことを書いておきます。
> 親指シフトを極めてしまうと、自分のパソコンではない
> パソコンを使う際に、逆に入力に不便を感じてしまうの
> ではないだろうか?
という意見。
これ、非常に奇妙な論理に思えます。
そりゃ、ローマ字入力などは不便を感じます。しかしそれは、「親指シフトを極めた」からではなく、もともと不便だからです。
その不便を解消しようと親指シフトに向ったのであって、それが原因でローマ字入力が不便になったわけではありません。そのへんになにか勘違いがあるのではという気がします。
一度自動車に乗ってしまうと、馬車に乗ったときトロく感じるから、だから私は自動車に乗らない?
そんな理屈は通用しないでしょ?
投稿: とっしゅ | 2009/08/22 15:55
とっしゅさん、初めまして。こちらにお越しいただきありがとうございます。返事が遅くなり申し訳ありません。
「快適な入力環境を求めた結果」というのは良いですね。
>これ、非常に奇妙な論理に思えます。
おっしゃる通りだと思います。まあ、引用部分の著者の考えを忖度すれば、親指シフトしか使えないようになったら不便じゃないですか、ということなんだと思いますが、それでも論理が逆転しているのは確かです。まあ、世の中、理屈だけで動いているとは私は思っていませんが・・・。
投稿: 杉田伸樹(ぎっちょん) | 2009/08/26 11:13
初めて来たのですが、久しぶりに親指シフターのみなさんの声が聞こえて楽しかったです。
ここの議論がiPadの登場で、新しい展開になるかもと、ドキドキしている者です。
私は「化石」といわれながらも、昭和55年の8インチFDDのOasysから使っていますから、30年選手ですが、今だにOasysキーホード3台と、Japanistでノートブックにシールを張り付けて使っているものです。
iPadは液晶にキーボードを映して入力させる訳ですから、ある意味バーチャルな環境ですよね。つまり、ソフトだけで「はときいん」ができるというのは、キーボードという周辺機器の絶滅を意味すると。ちょっと大げさですが、期待しています。
投稿: マー | 2010/06/07 17:55
マーさん、いらっしゃいませ。
出張していて返事が遅くなりました。
iPadでどの程度親指シフトが有効なのかは私自身は見当がつきかねます。物理的な存在であるキーボードを前提として親指シフトは作られているので、どちらかというと懐疑的なのですが、いずれにせよモノがないので何とも言えないですね。
投稿: 杉田伸樹(ぎっちょん) | 2010/06/10 21:54