Re: 言語とは文明である。(@言霊(ことだま))
親指シフトと日本文化。
http://purple99x.cocolog-nifty.com/blog/2008/05/post_df73.html
日本語でものを考えているのであるから、日本語で日本の文字で入力できなければいけないと思う。その点、親指シフトは偉大であった。
確かに親指シフトは一打鍵が仮名一文字に対応しているという点で、JISかな入力(濁音、半濁音は2打鍵必要、また、小指によるシフトが多い)、ローマ字入力(多くの場合、仮名一文字に対して2打鍵必要、文字の配列が使いにくい)に比べて日本語の入力が自然なものになっていると言ってよいと思います。
しかしながら、そんなに簡単に言って良いのかという少しの疑問もあります。なぜなら、普通の日本語文は仮名漢字まじりで書かれているわけで、それと同じにすることが自然な入力方法だとすれば、仮名を入力して漢字にすることだって不自然と言うこともできるわけです。実際、仮名漢字変換を嫌って「漢字直接入力」という方法を勧めている方もいます。
とはいえ、私は親指シフトを使って仮名漢字変換をするという方法が現在の技術、および社会的状況からしてもっとも使いやすいものであると信じています。
私が考える親指シフトの利点は、(1)親指と他の指の同時打鍵という方法で一つのキーを人間の生理に合った方法で3通りに活用できる、(2)文字の配列を合理的にした、(3)ソフト的制御を活用した、ということにあります。ただし、(2)および(3)は必ずしも親指シフトに限ったことではありません。
おそらく親指シフトの使いやすさはこうした利点を総合的に結びつけて一つのシステムとしたことにあるのだと思います。だから、あまり簡単な説明でその良さを説明することはできない(少なくとも私はできない)のです。これは「売り込み」には大変なハンディになる可能性がありますが、それでも親指シフトの将来を考えれば、その利点を間違えないように意を尽くして説明することが大切なのだと思っています。
なお、親指シフトの利点は日本語以外にも応用可能であるというのが私の持論です。いくつかの言語について、この点を研究しています。興味のある方は、このブログ右サイドバーにある「ケーススタディー(日本語以外)」をご覧ください。親指シフトの利点を日本語だけに閉じ込めておくことは世界的な損失であると考えています。
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コメント
漢字かな変換はキー入力の方式などには関係なく話し言葉あるいは読み上げるときに滑らかな言葉遣いの文章を入力するのに適していると考えています。
現代では文章用の言葉遣いがほとんどありませんから、事実上はこれが大多数で問題ないのだと思いますが、本当に文字で見せるという観点では、他の方式もそれなりに価値はありますね。
実際には、単語登録になるわけですが、単語登録すると親指シフト入力のリズムは崩れます。
ATOKは「えいとっく」と辞書登録してありますが、これを「えいてぃおけー」と読んでいる人には使えないですね。
その意味では、かな漢字変換そのものが意外と低いところに限界があって、ユーザはしばしば標準外の操作を強いられる、と考えています。
投稿: 酔うぞ | 2008/05/10 10:05
酔うぞさん
>漢字かな変換はキー入力の方式などには関係なく話し言葉あるいは読み上げるときに滑らかな言葉遣いの文章を入力するのに適していると考えています。
まさしくその通りですね。自分が考えていることを文字化する作業もおそらくこれに近いのだと思います。だから、仮名漢字変換はローマ字入力、仮名入力にかかわりなく使われているのだと思います。
投稿: 杉田伸樹(ぎっちょん) | 2008/05/10 14:01