Re: (203)?面白いように仕事が進む?知的生産術「三種の神器」?(@We love 200LX.)
親指シフトの良さをどうやったらうまく伝えられるのだろう。
http://we-love-200lx.cocolog-nifty.com/blog/2008/02/203_294c.html
「親指シフト」についても、誤解されているようです。「20年近く前のワープロ早打ち選手権の上位入賞者のほとんどが親指シフト利用者だった」と書いてありますが、書いている人は、どういう選手権だったか、たぶんご存じない。
当時のワープロ利用法というのは、「人間スキャン」なんです。つまり、手書きなり印刷された原稿を、ワープロに入力していくコンテストなんです。ですから、日本語の1文字1文字をワープロのキーの1つづつに置き換えるという親指シフトは、その「作業」がしやすかったんです。
確かに日本語ワープロの当初の使われ方はここに書かれているように、清書をすることだったのかもしれません。また、親指シフトの良さを説明することに、早く入力できることだけを強調することも(実際、速いのは確かですけど)、果たして適当かといえば、そうではない可能性もあります。
今では、そういう「清書機」としての使い方をすることは、ほとんどなくなりました。だから親指シフトもすたれてしまったんです。今は、ローマ字入力のほうがずっと現実的だと思います。
まさしく、ワープロやパソコンは清書機としてよりは、情報の創造のプロセス、特に文字情報の生成や加工のために使われるようになってきています。すなわち、コンピューターを知的生産の多くの段階で多面的に使うようになっています。
こうした情報生産の担い手の多くが親指シフトを重要な仕事の道具として考えていることをご存じでしょうか。典型的な例が文筆業で、親指シフトを使う人の割合が特に高い職業です。こうした人たちはもちろん清書のためにコンピューターを使っているわけではありません。自分の思想を文字として固定するための道具として使いやすいものを選んだ結果が親指シフトだったのです。このように考えれば、親指シフトの衰退(コンピューターのユーザーの中に占める親指シフトユーザーの割合という指標で見れば確かにそうかもしれません)と、コンピューターの使われ方の変化を結びつけることは間違っていると言わざるを得ません。むしろ、清書機としてではなく、文字情報の第一次的生産の道具としてコンピューターを使うということなら、親指シフトの有用性は昔に比べて高まっているとさえ言えるのです。
このことを、指を多用するプロのピアニストに直接聞いてみたら、よいシフト方法ではないと言っていました。キーボードのシフトに親指を使うと、小指を使うのと違って、手全体がの動きが制限されてしうために、各指の独立性が損なわれてしまうのだそうです。
ピアノとコンピューターの鍵盤(どちらもキーボードですが)の目的や使用方法は違うので、どれだけ共通のところがあるか私は判断できません。ここで言われるように、親指と他の指を連動させて動かすことは、一つの制約となるのは確かでしょう。
とはいえ、ピアノで指を動かす場合と比べるとコンピューターのキーボードは指を動かす範囲は、格段に狭くなっています。こうした状況では、上記の制約はそれほど意味があるものではないという可能性もあります。
さらに、親指シフトと他の方法、例えばローマ字入力と比べた場合には、考慮すべき点がまだあります。例えば、同じ文章を入力するのに必要な打鍵数や指を動かさなければいけない距離などです。これらは実際に使ってみなくても簡単に計算ができますが、親指シフトのアトバンテージは明らかなものとなっています。
親指シフトを使っている人は、多くの場合、その良さを分かっているし、人にも伝えたいと思っています。でも、それは難しいことでもあります。なぜかといえば、親指シフトの良さは「使いやすい」という大変感覚的なものだからです。この壁を越えて、多くの人に届くような説明をすることが親指シフトコミュニティーの重要な仕事なのです。
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コメント
清書機というのは言い得て妙ですね。
自動変換にしてから、全体として作成時間が長くなりました。
実際問題として入力した文字が表示された段階では文章になっているわけで、言い回しを調整したりするようになってきたからです。
つまり、清書機ならぬ対話機といったところです。
入力速度が遅くても問題がないのであれば、親指シフトである必要はない、というの一つの見識であろうと思います。
わたしの知人で、元々は親指シフター(というかOASYS使い)がPCでの文書作成に移管したときにJISかな入力を選択しました。
これはこれで正しい判断であったようで、その後10年以上になりますが替えていません
ところで、親指シフトでなければローマ字入力というのはヘンなのではないか?と思います。
わたし自身は、ローマ字入力の場合は頭の中で「かな・ローマ字変換」をしています。
例えば「りょ」を「RYO」に置き換える、といったことです。
こんな点からも、JISかなの方がマシじゃないか?と思うところです。
キー入力の問題だけではなくて、文章作りのためにはどうあればよいのか?という問題を検討するべきなのでしょう。
投稿: 酔うぞ | 2008/02/21 01:37
こんにちは。どちらにコメントしようか(引用元とこちらと)と思ったのですが、こちらにコメントしてしまいます。
親指シフトへの誤解は、どちらが誤解しているのかなぁと思ってしまいました(引用元)。「考えながら打つ」からこそ、親指シフトを選んでいる一人です。それから、ピアノの話が出ていたのですが、ピアノ演奏が出来る故に、よけいに親指シフトが使いやすいと感じている人間です。親指シフトでは、手の動きは制限されるというよりは、「形が決まる」というふうに感じます。もっとも、これは個人の感覚の差なのかもしれませんが。
投稿: 沢野 | 2008/02/21 06:52
おはようございます。ピアノの手の動きと、親指シフト入力の手の動きについて考えてみました。
ピアノと親指シフト(親指シフトウォッチ: Re: (203)?面白いように仕事が進む?知的生産術「三種の神器」?(@We love 200LX.))
元記事の方の考察には親指シフト特有の動きである「同時打鍵」の考え方が抜けているように思われましたので、その点についてピアノを弾く方ならわかるように書いてみました。良ければご参照ください。
投稿: Sio @ Sios Gadget Blog | 2008/02/21 09:37
皆さん、コメントありがとうございます。次の記事ならびにこの記事で引用したブログへのコメントを先に書いていたので、遅くなりました。
酔うぞさん
ローマ字入力において、頭の中で日本語をローマ字に変換しているかは、いろいろな議論があるようです。ローマ字入力がある程度自然にできる人ならば、指が自動的に動くという感覚でもあるようです。それでも、親指シフトの方がずっと自然なことは確かですが。
「キー入力の問題だけではなくて、文章作りのためにはどうあればよいのか?という問題を検討するべき」というのはその通りで、例えばかな漢字変換の問題なども当然視野に入ってきます。こうなると、親指シフトだけの問題ではなくなります。
沢野さん
「『考えながら打つ』からこそ、親指シフトを選んでいる」というのは、まさしく親指シフトユーザーの共通の思いだと思います。それだからこそ、親指シフトの利点を「速く打てる」ということだけにしてしまうのはもったいないと思うのです。
「形が決まる」というのも同感です。特に同じ手での同時打鍵については、キーを押す前に、親指と他の指の開き具合が決まり、親指以外の指の位置が決まります。親指シフトキーがある程度サイズが大きく、また、他のキーよりも高く作ってあるので、親指の位置についてはあまり細かな調整は必要とされません。これはうまくできていると思います。
Sioさん
ブログの記事を拝見しました。同時打鍵という考え方を正しく理解することが必要というのはまさしくおっしゃる通りです。分かりやすく書いていただき感謝します。
投稿: 杉田伸樹(ぎっちょん) | 2008/02/23 15:53