Re: 嗚呼、親指シフトよ!!(@倫敦巴里)他1件
親指シフトは昔のことなのでしょうか。
http://e-bozu.at.webry.info/200709/article_24.html
部屋の片づけをしていたら写真のようなものが出てきた。懐かしや「オアシスポケット」よ。しかも「親指シフト」バージョンだ。
「親指シフト」ああ懐かしや。
おお、これは携帯ワープロの名機と言われているオアシスポケット3ですね。親指シフトを使っていたようです。でも、なぜ「懐かし」いのでしょうか。
私自身、やはり住所録管理をするためにMacのパワーブックを買った時点で、仕方なく「ローマ字入力」に切り替え、現在に到っている。ローマ字入力には、いまだにイライラすることがある。Macを使いたいと思った時、親指シフトは諦めざるを得なかったのだ。
親指シフトを使わなくなった人の典型的なパターンのようです。ワープロ専用機でできなかった機能がパソコンにあり、それがとても欲しいものだったら、しょうがなく親指シフトをあきらめて、パソコンに移るのは当然のことでしょう。
でも、その時、親指シフトのままでパソコンに移るルートがあったら、そして、そのことが知られていたらどうだったのでしょう。過去に戻って「もし」というのは無駄だとは分かっていても、そのことを考えざるを得ません。しかも、この方のように、ローマ字入力にいまだイライラするということがあるならなおさらです。
この方は、親指シフトが今でも使われていることは最近知ったようです。これは大変残念なことです。
結局、この優れたシステムが、一般に浸透することは無かったというのが残念でならない。
パソコンというものは、結局のところ「外国のものだ」という状況は今も変わっていないということだろうと思う。
アップルにしても、ウィンドウズにしても、パソコンの心臓部CPUも、OSもアメリカ製である。
パソコンの用途も、文字入力からWEBへとウェイトが移行して、アドレスの入力など、逆にアルファベットが身近になってしまったということだろう。
親指シフトが一般に浸透しなかったことは残念なのは同感です。ただ、その理由として書かれていることにはやや違和感があります。
確かにマッキントッシュでもPCでも、アメリカ生まれです。ただ、今やそれはアメリカのものというよりは、全世界で使われている国際標準と言って良いのだと思います。でも、日本語を(その他の言葉でもそうですが)十分に使えるようになっています。これはソフト的なアプローチがうまくできたからです。
でも、文字入力の方法というのはきわめて文化に依存するものなので、本当に使いやすいものを考えるためにはローカルな環境を重視するのが良いのです。
なお、親指シフトの考え方は実は日本語だけでなく、他の言葉でも適用が可能であるという仮説も成り立ちます。詳しくは、このブログの右サイドバーにある「ケーススタディー(日本語以外)」をご覧下さい。
ワープロ記念日(@a by-road)
http://yatimo.ketchup.ciao.jp/?eid=685882
昔のワープロには、親指シフトがあったのです。
(中略)
これは富士通のオアシスにだけあったと思います。
なので、いまでも私はパソコンは富士通です。
ワードを使うので搭載しているオアシスをつかうことはありませんが、いまでも親指シフトキーがあればいいなぁって思います。
これまでも書いてきた通り、今でも親指シフトは使えます。パソコンでは主要なOS(ウィンドウズ、マッキントッシュ、リナックス)で実用的に使える環境も維持されています。これらのOSで動くアプリケーションだったらどれでも親指シフトが使える訳です。
もちろん、オアシスでなくても、ワードや一太郎でも親指シフトは使える訳です。
ハードについても同様です。例えばPCだったら基本的にどれでも親指シフトを使おうとすれば使える環境を作ることは可能です。
親指シフトはこのようにどこでも使える可能性を今でも持っているのです。
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コメント
親指シフトが浸透しなかった理由についての違和感について、ワタクシあなた様の仰るとおりのことを書いたつもりでしたが、言葉が足らなかったようです。WEBなどで、とにかくアルファベットを使うことに始まって、あのキーボードも世界標準になったということ、私もそのように考えております。日本は、ローマ字というものがあったので比較的というか、ハードをほとんどそのまま利用できたので、簡単に日本語をつかえるようにできたのだと思います。私が親指シフトをやめてもいいかな?と思った一番の理由は、私の馬鹿な頭で考えるスピードと、高速入力が合わないというか、文章を考え打つスピードがそんなに早くない、ということに気づいてしまったのと、当時、DOS環境は使えるものでなかったのと、出版界での標準がMacになっていたということ。DTPデザインに仕事が移行して、文字入力自体の重みが減ったことにあります。ベータマックスとかの敗北感もあって、まあいいや、と切り替えることにした訳です。その仕事も辞めましたし、すべてが懐かしいのです。
投稿: 三日ボーズ | 2007/09/27 01:05
三日ボーズさん
早速ありがとうございます。続きの記事も拝見させていただきました。
私も少し言葉が足りなかったようで分かりにくくなってしまったのは申し訳ありません。
私が考えているのは、人間が直接接するところは極力人間に合わせて、人間から遠ざかれば人間の都合は考えずに、国際的な標準でやれば良いのではないかというものです。だから、親指シフトを使いたいと思う人間がいる限り、なくなることはないはずだと個人的に信じている訳です。
いずれにしても、親指シフトのことを懐かしく思っていただけるのはうれしいことで、こういう人がいることも親指シフトの良さの証明ではないかと、牽強付会かもしれませんが思っています。
投稿: 杉田伸樹(ぎっちょん) | 2007/09/27 21:11