Re: 親指シフトの火を消さないために。(@Weblog 61℃)他1件
親指シフトがなくなるとはどういうことなのでしょうか。
http://61degc.seesaa.net/article/39313768.html
私が一番恐れているのは、親指シフトが物理的に使えなくなってしまうことです。Nicola や Tron の専用キーボードはあってもなくても私自身はどちらでも構いませんが、JISキーボードで親指シフトをエミュレートする環境がなくなってしまうことだけは避けたいのです。エミュレータが対応していないからOSを乗り換えられない —— そんな悲しい事態が二度と起きないことを願って…。だから、今はこう言います。親指シフトの火は消さない!
私がここに書き散らかした結果として、
* 親指シフトユーザが増えた。
* 親指シフトを使い続けようと思い直した。これが私にとっての「是」です。配列は親指シフトであれば何でも構いません。
私が考え、感じていることも似ています。私は「専用キーボード(きちんとした親指シフトキーが付いていること)がなくなってしまうのは困る」というのも言いたいのですが(笑)。
結局、問題は「親指シフトとは何か?」という哲学的(笑)問題なのかもしれません。
上記の文章を書いた141Fさんは、小梅という新しい配列を提唱されています。それでも、「配列は親指シフトであれば何でも構いません。」と述べています。
私は、何度かこのブログや他の場所で、親指シフトの本質は何かということを述べています。それは、「親指シフトキーと他のキーの同時打鍵により、人間の生理にあった自然な形で、一つのキーを3つに活用できること」と「文字の使用頻度や正書法の原則などに合わせて柔軟に文字の配列を決めること」です。
実は後者は、親指シフトでなくてもできることではあります。ですから、絞っていけば親指シフトの原理は前者だけなのかもしれません。親指シフトが使えなくなるというのは、この原理が使えなくなることになります。
141Fさんが、配列は何でも良いというのは、親指シフトの考え方からすれば間違ってはいない訳です。もちろん、配列は使いやすいものである方が良いのは当然ですし、親指シフトを採用することにより、使いやすいものにできる余地が増しているのも確かです。
親指シフトが文字入力の可能性を大きく広げたのは確かでしょう。TRONやM式でも、「親指との同時打鍵」は使われています。つまり、この原則こそが、真に本質的なものなのです。
だから、親指シフトの可能性を広げるような試みは141Fさんがおっしゃるような意味においてすべて「是」となります。例えば、日本語以外での応用もその一つとなります。
もちろん、可能性だけで親指シフトが広がると思うなどというのはまったく甘く、リアル世界を変えるにはそれなりの仕掛けや覚悟がいります。そうだとしても、最初からいろいろある可能性を切り落として「これだけしか認めない」という態度が生産的でないのは明らかでしょう。親指シフトの火を消さないためにも、フィールドは広く持っていることが必要なのです。
で、あなたは親指シフトを愛していますか?
もちろんです!
ブログを始めた理由(@とりあえず月配列とかのブログ)
http://ameblo.jp/ujiro/entry-10031187017.html
私がブログを始めた当初、配列関係のネタで語り合う場は2ちゃんねるの他にはあまりなかったような気がするんです。
(中略)
あと、「親指シフトウォッチ」のぎっちょんさんもとっくにブログを書かれていましたね。
宣伝ありがとうございます(笑)。
私がこのブログを始めた理由は、一番最初の記事http://thumb-shift.txt-nifty.com/contents/2004/07/post.htmlに書いてある通りです。
私のブログがあることで、どれだけ親指シフトに対する世間の関心が高まったかは分かりませんが、私の側からすれば、親指シフトの考え方を普及させたいという気持ちはずっと一貫しています。
現実の世界が簡単に変わると思うほど私はナイーブではないですが、それでも、何らかのアクションを起こさない限り、親指シフトのコミュニティーの強化はできないし、親指シフトの復権もあり得ないのは確かなのです。
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コメント
言及いただきありがとうございました。
OSが16ビットから32ビットに変わった時、親指シフトは使えなくなってしまうんだろうかと、かなり心細い思いをしながらエミュレータの対応を待ち続けていたことが、未だにトラウマになっています。親指シフトをポジティブにマーケティングするとして、私に何ができるだろうかという答えが、小梅配列を作ることだったのでした。64ビット化の山は無事に越えたいですね。
投稿: 141F | 2007/04/20 01:48
141Fさん、コメントありがとうございます。
現実世界の難しさを無視するとすれば「OSのようなどうでもいいものが変わるたびに、文字入力のような基本的なものが影響を受けるのはおかしい!」と言い放っておしまい、ということになるんでしょうけど、まあ、世の中はこんなもんなので、シコシコ対応していくしかありません。それでも、これまで何とか対応できていたというのはある意味で奇跡的なことかもしれません。
投稿: 杉田伸樹(ぎっちょん) | 2007/04/20 21:47
トラバありがとうございます!
軸がぶれないのはぎっちょんさんのスゴイところだな、といつも思いますね。記事中で少し触れられていますが、ある意味、それだけ「危機意識」のようなものが強いのでしょうか。新興配列のように「かつて一度も普及したことがないもの」の普及を目指すのと、親指シフトのように「かつて普及していたもの」の復興を切望するのではだいぶスタンスが変わってくるのだろうな、とときどき感じることがあります。
「そんなにすぐには変わらないと思うけどそれでもやる」と「変わるような気がするからやる」の差の意味について、少し考えてしまいました。
投稿: Uジロー | 2007/04/21 01:24
私は,OSが変わるとかはソフトウェア次第でどうにでもなるので,さほど気にしてないのですが,もし日本語キーボードが「スペースで変換するのが便利だから」「スペース両隣の使用頻度が少ないから」などの理由で,スペースキーを幅広くして,変換キーと無変換キーの位置を両端方向に追いやるようなのばかりになってしまったら,本当に困ってしまいます。世の中のキーボードがF社のキーボードみたく,スペースキー狭めで変換キー無変換キー広めな傾向になれば良いなと思います。
投稿: azuki | 2007/04/21 06:33
Uジローさん
>軸がぶれない
というより他のことを書かない(書けない?)という制約を楽しんでいるという感じです。いつまでこのスタンスを続けていられるか、自分でも分かりません。
これが変わるとすれば、次の二つのどちらかが起きた時でしょう。
(1)親指シフトが完全に普及する。
(2)親指シフトが完全に死滅する。
どちらもすぐには起きそうにないので、ぐずぐずと今のスタンスが続くことになりそうです。
azukiさん
物理的な存在としての親指シフト専用キーボードがなくなってしまうのが私が一番危惧していることです。こうなったら親指シフトはほぼ死滅したという状態でしょう。
スペースで変換することが便利だ、というのはazukiさんも分かると思いますが、とんでもない考え方です。大きなスペースバーの存在自体を前提条件にして、変換キーが遠くなってしまうのをごまかすためにスペースバーに変換の機能をつけたという、まったく逆転した論理なのです。
スペースバーを変換キーとして使うことのデメリットとして、すぐに思いつくことは二つです。一つは、空白を入力するのに文字の確定操作が必要になることです。空白は空白として入力できるようになっていないのは、欠陥デザインです。もう一つは、無変換を軽視していることです。一度やったことをもとに戻す操作は、人間の動作として自然なことです。これが使いにくいのも欠陥デザインだと思います。
投稿: 杉田伸樹(ぎっちょん) | 2007/04/21 14:54