Re: ケータイを洗濯機で洗ってしまった(@tak shonai's "Today's Crack" (今日の一撃))他3件
携帯電話と親指シフトの関係は。
http://tak-shonai.cocolog-nifty.com/crack/2006/05/post_5dbb.html
私は親指シフト・キーボードは好きだが、ケータイの親指入力は神経衰弱になりそうなので、御免こうむりたいと思っているのに。
携帯電話でも、外付けキーボードを付ければ親指シフトが使えます
http://www.reudo.co.jp/rboardk/product.html
というのはともかくとして、確かに携帯電話による日本語入力は大変です。最近では、携帯電話で小説を書く人もいるそうですけど、そんなことをしていて腱鞘炎にならないか心配です。
そんなこんな(@alis_wind)
http://ameblo.jp/alis-wind/entry-10012283846.html
オアシスは使いやすかった。
オアシスが恋しいよん。
富士通が欲しいよう。
富士通のボードを買って,接続して使用できるらしい。
親指シフトできちがいみたいに打ち込みたい。
親指シフトはパソコンではウィンドウズ、マッキントッシュ、リナックスで使えます。専用キーボードを使うか、普通のキーボードを流用して親指シフトを実現しています。実際に使ってみたければ、このブログや、日本語入力コンソーシアムのウェブサイト、親指シフトユーザーなどのウェブサイトをご覧下さい。
いくら親指シフトが使いやすいからといっても、あまり無理はされないように(笑)。
キーボードについてあれこれ(@るをぐ~ひびのせつな2~(仮))
http://blog.livedoor.jp/ruwon/archives/50396037.html
しかしメッセをしていてたまにj3と打ってきてしまうかな文字使いのtadや親指シフトを熱く語ってくれたtadを忘れないで欲しい。(どっちもtadだけど)。親指シフトキーボードは何気に普及率高いんだぜ?orz
うーむ、最後の文章は通説と違うな。本当だったらうれしいんだけど(笑)。でも、親指シフトを熱く語る人が多いのは事実かな。いや、私はそうではなく、静かに品よく(?!)親指シフトの普及を目指しているんですけど。
任天堂「Wii」からインターフェースについて考えてみた(@A Better Project@はてなダイアリー)
http://d.hatena.ne.jp/potappo/20060513
ジョイスティックな未来にも憧れますし、ハッピーキーボードや親指シフトも良いアイデアだとは思うのですが。
これは、ゲーム機の新しいコントローラーのインターフェースの議論から始まって、PCのインターフェースについて述べた文章です。「良いアイデア」の理由が書いてないので、詳細は分かりませんが、いずれにしてもポジティブな評価はうれしいものです。
このブログの記事には、インターフェースを実現する技術としてソフトウェアとハードウェアを比較しています。
これで思い出したのが、5月3日に私が書いた本ブログの記事のWeb2.0のことです。
梅田望夫氏の「ウェブ進化論---本当の大変化はこれから始まる」では、ネットの「こちら側」から「あちら側」へのパワーシフトについて、詳しく書かれています。「あちら側」とは、「インターネット空間に浮かぶ巨大な情報発電所ともいうべきバーチャルな世界」(57頁)を指していて、グーグルに代表されるような「あちら側」でのイノベーションが、大きなパワーシフトを起こしていると考えています。
そうだとすると「こちら側」で持つべきものはどんどん薄くなっていきます。その究極的な姿は何でしょう。
そうです「親指シフトキーボード」なんです(笑)。
いや、何でもいいんですけど、とにかく人間と直接に接するところだけは、どんなにパワーシフトが起ころうとも、「あちら側」に移すことはできないのです。だから、この部分は自分が使いやすいものにすることが最も意味があるのです。
「あちら側」に何でも揃うようになっても、ヒューマンインターフェースの最前線は自分に合ったものを使い続けるのがWeb2.0時代での生き残り術です。
料理人はどこで仕事をすることになっても自分の包丁を持っていくこと、馬の乗り手は、馬は変わっても鞍は変えないこと、こうした考え方こそWeb2.0に相応しいものなのです。
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コメント
こちらを拝見してからA Better Projectさんの書かれた記述を見て、暫く巧く理解できずにいました。
親指シフトという仕掛け全体が「ハードウェア時代の産物」として理解されていることに気づくまで、だいぶ時間が掛かってしまいました^^;。そして、おそらく「非常に多くの方が」同じ感想をお持ちなのかもしれません。
親指シフトは今やエミュレータ経由/ドライバ経由/親指シフト対応IME経由で利用することが当たり前で、他にも驚くほど多数の入力方式が提案されている背景には「ソフトウェア実装であること」が強く影響している事実もあって……と、そういったソフトウェア的な側面が【単に認知されていないだけ】と言えそうですね。
同じ方の続く記述として、【標準的ハードウェアを十分に意識したインターフェース作り】という言及もあります。
すると、JISキーボード+エミュレータという組み合わせを積極的にアピールすることで、「ソフトウェア時代の産物」としての親指シフトをうまく説明できそうな気がします。
エミュレータさえあれば、その先にあるキーボードは親指シフトキーボードでもJISキーボードでも、(操作感こそ異なるものの)変わらず親指シフト入力ができるというのは、ソフトウェアだからこそできる柔軟性であり「メリット」かな……と。
最近、このあたりを整理するために【親指シフトをJIS化できない唯一の理由、NICOLAエミュレーションをJIS化するために必要な要件。】を書いてみました。
http://d.hatena.ne.jp/maple_magician/20060512/1147458164
「親指シフト(文字入力用アーキテクチャ)」を「親指シフト入力法(ソフトウェア)」+「親指シフトキーボード(ハードウェア)」に切り分けて、「親指シフト入力法(ソフトウェア)」だけをプッシュすれば、不許可要件に一切合致しないので、おそらくうまく行くのではないかという気がしています。
これでうまく行けば「親指シフトキーボード」の需要は後から自然と付いてくるはずで、結果的には親指シフトを復活をサポートできるかもしれません。
#ただ、こういう極端な案をNICOLAフォーラムに上げて良いのかどうかと非常に悩んでいまして……。
投稿: かえで(yfi) | 2006/05/14 01:43
>かえで(yfi) さん
親指シフトについてはちょっと勉強不足だった感が否めないですm(_ _)m
私のようなWindowsからパソコンを使い始めた世代だと、やっぱり、「ハードウェア時代の産物」いう認識なのではないでしょうか。親指シフト=「オアシス」というような。
投稿: potappo | 2006/05/14 02:42
ケータイを洗濯機で洗ってしまった tak です。
親指シフトについては、主にその生産性の観点(?)からコラムを書いています。
ご参照まで
http://homepage3.nifty.com/tak-shonai/bitsophy/bit_004.htm
投稿: tak | 2006/05/14 06:16
takさん、こちらへようこそ。
トラックバックを送っているのですが、ココログ間はどういう訳か、うまくいかないことが多くて困ります。いずれにしても、拙ブログをご覧いただきありがとうございます。
「和才洋コン」は前に拝見したことがある気がしていますが、改めて読んでみるととても面白く感じました。
「生産性」というのは言い得て妙で、私も時々使っています。ただ、この言葉はただ単に「一分間に何文字打てる」といった瑣末な議論に引きずり込まれやすいため、気をつけないといけないと思っています。
使う人が快適になれる、というのが、考えることを大切にする社会(知価社会でもWeb2.0でも情報化社会でも何でもいいですが)での生産性を高めるためのキーとなるものだと思っています。
投稿: 杉田伸樹(ぎっちょん) | 2006/05/14 16:28
かえで(yfi)さん、コメントありがとうございます。
potappoさん、トラックバックとコメントありがとうございます。
>私のようなWindowsからパソコンを使い始めた世代だと、やっぱり、「ハードウェア時代の産物」いう認識なのではないでしょうか。親指シフト=「オアシス」というような。
オアシスは親指シフトにとっては、生みの親、育ての親で、オアシスがなければ親指シフトもとっくに消え去っていたことでしょう。その意味では、potappoさんの認識はある程度当たっています。ただ、この認識は親指シフトが活躍できる場はもっと広いということを気付かせるのに障害になっていた面もあります。
ワープロ専用機という製品ジャンルがなくなっても、OSがどんどん変わっても、携帯電話のようなプラットフォームが広がってきても、親指シフトを使いたい人はずっといたし、実際に使えるようになっています。この意味はとても大きいのです。
ネットの普及で情報やソフト的手段はネットの「あちら側」に行けたとしても、直接に人間の五感と接するところは絶対に「こちら側」から動けません。そして、「あちら側」がコンピューターの能力による情報発電所ならば、「こちら側」は人間の脳による情報発電所であり、この接点こそキーボードをはじめとするインターフェースなのです。
ソフト的な手段は、どんどん「あちら側」に行って構わない(ネットによる通信の速度がどんどん速くなる限り)のですが、絶対「こちら側」に残るものについては良いものを選ばなければいけないのです。
ソフト的に実現できるものについては、あまりきっちり決める必要はないというのは、上述の議論からすれば技術的には当たっています。ただし、社会的なインプリケーションについては別途の考慮、より広範な議論が必要です。
投稿: 杉田伸樹(ぎっちょん) | 2006/05/14 16:59
>potappoさん
始めに……妙な引用をしてしまい申し訳ありませんでした。
私もつい最近まで分離できていなかったもので、なかなかうまく説明できないところがありまして……。
私の場合、本格的に親指シフトへと首を突っ込み始めたのは2003年10月からでして、完動品のOASYS実機は触ったことすらない状況です。
「富士通のOASYS」という実体がイメージできなくて、代わりに「エミュレータで親指シフト」が当たり前になってから覚え始めたので、実は「ハードウェアとしての親指シフト」のイメージがほとんど湧かなかったりします。
おそらくは「入力方法の乗換えを意識して」取り組むまでの必要性はなくて、「ソフトウェア時代に合致しているかどうかを体験してみる」あたりの見方でお試しいただければ、「ああ、親指シフトはこういうものなのか」という意図は感じ取ることができそうに思います。
意外と「今までやったことのない事に取り組む」という行為は、発想の転換をするために役立ったりするようです。その一つとして「親指シフト」という選択肢を用いることは、十分にアリかな……と。
とりとめのないコメント、失礼いたしました。
投稿: かえで(yfi) | 2006/05/15 00:35
かえで(yfi)さん
親指シフトは25年使われてきているので、それがどのように実現されてきたかはかなり変化しています。これは、親指シフト(というより文字入力の技術全般)の持つ特性です。このため、時代時代で、親指シフトと結びついて連想されるものが違ってきます。
このことは親指シフトの考え方の健全さと頑健さの現れですが、一方で、よっぽど親指シフトのことだけを考えている人間でなければ、連想するものがバラバラになってしまうという難点があります。
親指シフトという概念だけを純粋培養すれば良いかというとそんなこともなくて、何らかのベースがないと生き残りは難しくなります。これはリアル世界での親指シフトコミュニティーの頑張りにかかっている訳です。
まあ、ソフト技術の向上で、親指シフトをソフト的に維持していける可能性が広がっているのは事実で、これは喜ぶべきですが、それならばこそ「人と直接接するインターフェースとしてのハードウェア」が大事になっていると思います。それはつきつめてみると、もしかしたら、親指シフトキーボードの物理的な形状なのかもしれません。
うーむ、自分で書いていても論旨が明確でないな。
投稿: 杉田伸樹(ぎっちょん) | 2006/05/16 22:34
私が「NICOLAキーボード」ではなく「NICOLA入力法」をまず先に推したいと思う理由は、案外と単純なところで「キーボードはコピーに高いコストを要するが、入力法は低コストでコピーできる」&「キーボードは接続許可を得やすいが、ソフトウェアは導入許可が得にくい」あたりにあります。
キーボードは見たままのデバイスなので(会社などでも)ある程度許容されるかもしれませんが、ソフトウェアに関してはそうも行きません……個人情報保護法案がらみで、近年さらにソフトウェアや記録媒体の運搬が規制されていますし、今後さらに「新規ソフトウェアの別途導入」は難しくなりそうですし。
NICOLAフォーラムでも度々「モバイル・サム(Mobile Thumb)」の話題が登場することからも、とりあえず優先順位は入力法の方が上なのではないかな……と、そう考えています。
現在多くのPCでは、 JIS X 4063 (ローマ字入力) と JIS X 6002 (JISかな入力) のみが排他的に「ほとんどのシステムにコピーされている」ので、これらだけが自由に使える状態にあります。これらはNICOLAと同じく相応のコストを掛けて入力法が実装されていますが、システム価格に含まれているので「タダで付いてくるもの」と等価にみなすことができます。
こういった現行システム(あるいは未来のシステム)に NICOLA が同等条件で「当たり前にコピーされている」状態を目指す場合、キーボードまで含めてのコピーを要求するよりは、入力法のみのコピーを要求する方が、より早期かつ確実に浸透するはずです……たとえばSCIMAnthyの様な魅力的IMや、あるいはMS-IMEのような標準的IMに採用されればなおさらに。
入力法さえコピーされていれば、その先にあるキーボードは個々人の好みや入力法の特性に応じて選択すればよいのであって、いずれは自動的に「入力法の特性に合うキーボードのみが生き残る」と思います。
そこでNICOLAが選ばれれば、最終的には親指シフトキーボードが選ばれるでしょうし、いずれは「親指キーと変換・無変換を独立して使えるキーボード」が正式にサポートされる日も来るはずです……それが親指シフトにとっては必要かつ最適なのですから。
たとえば自動車会社が「高級車という夢を見せつつ普及車を売るように」、たとえば家電メーカーが「120インチテレビの夢を見せつつ30インチ台のテレビを売るように」、NICOLAにも「純正キーボードへの憧れを持ってもらいつつエミュレータを使っていただけるように」というスタイルがあっても、そう違和感はないと思うのです。
「普通のキーボードでも親指シフトは出来ます。もちろん、純正キーボードならばもっと快適。」という言及はエミュレータ登場時点から語られている様ですし、エミュレータを触ってピンと来た人は、概ね親指シフトキーボードを(購入に至るかどうかは別として)欲することもまた良く観察される現象ですから、その点について心配する必要はないかも……と。
#といいますか、飛鳥に移行してから親指シフトキーボードを2本も買ってる私みたいな奴も居るわけでして……^^;
投稿: かえで(yfi) | 2006/05/26 00:54
かえで(yfi)さん
このところ本業が忙しくて返事が遅れました。
現実世界で、どのような制約がありどのような可能性があるかは、環境により千差万別でそれぞれに応じた対応をするしかないと思います。その上で、平均的に見ればかえで(yfi)さんのおっしゃるようなキーボードとソフトウェアの導入の難易度になるのでしょう。
「キーボードでなく入力法」というのは、確かにサバイバルを考えた時には必要なのかもしれません。ただ、私がどちらかといえば物理的な形状としての親指シフトキーボードにこだわるのは、一つには親指シフトを理解するのに一番やさしいのは物理的な形としての親指シフトキーボードに触れることであるという考えであること、第二には親指シフトのポテンシャルを最大限に発揮するのはやはり形として親指シフトキーボードとなっているものでないとできないのではないか、と思っているからです。
もちろん、これに対する異論は十分あり得ると思うし、例えばノートパソコンのように親指シフトのサバイバルが難しくなっている場合にはそんなことばかり言っていられないという事情があることも理解しています。
それでも私が物理的なものとしての親指シフトキーボードにこだわるのは、ヒューマンインターフェースの身体性という考え方から抜けられないからかもしれません。
投稿: 杉田伸樹(ぎっちょん) | 2006/05/30 23:18