« Re: 絶滅危惧種(@Weblog 61℃)他2件 | トップページ | Re: 親指シフトキーボード(@弁理士の日々)他1件 »

2006/02/02

Re: 『ミーン・ガールズ』(@映画フェイス)

親指シフトを使う人は個性的か。
http://eigaface.cocolog-nifty.com/blog/2006/01/post_9ad2.html

私も左利きですが字は右手で書いてる軟弱者です。それで血液型BでパソコンはマックOS10.4で日本語入力は親指シフトを使ってます。充分個性的というか変人なのかもしれません。

これらの条件のうちいくつが合うと個性的ないしは変人になるのでしょうか。親指シフトと他の条件との相関関係は如何に? 考え出すと面白いテーマになる・・・かな?

確かに親指シフトを使っている人は少ないのですが、それにはそれなりの理由がある人がほとんどなんでしょうね。その理由の分析ができれば、他の人にも勧められると思っています。

|

« Re: 絶滅危惧種(@Weblog 61℃)他2件 | トップページ | Re: 親指シフトキーボード(@弁理士の日々)他1件 »

コメント

 妙な分け方かもしれませんが、「親指シフトしか使えない人」「好んで親指シフトを使う人」とに分けて考察するというのもアリなのかもしれません。
 どちらが良くてどちらが悪いとかいう問題ではなく、「親指シフト以外の選択肢を持っているかどうか」がポイントかな……と。

 なぜこんな(取りようによっては意地悪としか言えないかもしれない)話を持ち出すかといえば、今後親指シフトを「もう一つの選択肢として勧めよう」とするならば、結果的には「今まで使ってきた入力方法」と「新規に覚えようとする親指シフト」の両方を使える人が増えるという事になりますよね。
 で、それを目指す人にとって一番ピンと来る説明ができる人は、おそらく「好んで親指シフトを使う人」の意見になるだろうと思うわけです。

 話は飛びますが、最近シャドールームさんで「かな入力のススメ( http://shadow.cside1.com/typing/kana/index.htm )」というコンテンツを発表されたのですが、ここにある「『かな入力』とは何か( http://shadow.cside1.com/typing/kana/nanikana-01.htm )」と「『かな入力』をススメる理由( http://shadow.cside1.com/typing/kana/nanikana-02.htm )」が非常に興味深いと感じました。
 似た言及としては「ローマ字なんかやめちまえ。( http://www.geocities.co.jp/Hollywood-Kouen/9958/type2.html )」が以前からあるのですが、どちらがより素直に読む気になれるだろうか?と考えると、やはり前者かなぁ……と思います。

 で、話を戻しまして……例えば「ローマ字入力から親指シフトへ移行しよう!」というユーザさんにとって、一番ピンと来る記述は何なのだろうか?と考えますと、そこに必要なものは「ローマ字入力の利点をきちんと捉えて、そこからあえて親指シフトへと移行する意味と利点が記述されていること」が重要なのではないかと感じています。
 【親指シフトに変えて良かった!】という方は事実いらっしゃるわけでして、その意見をどうやって「のちにチャレンジしようとする方へと伝えてゆくか」が重要になりそうですね。

 しかし、考えてもみれば不思議なものです……エミュレータが無ければ入力環境を維持することすらできないというのに、それでもかまわず飛鳥と秋月(W-ZERO3用の自作配列)を使い続けている自分がいるわけで、そんな自分に「なぜそれを使っているのか?」と問えば、単に「それが今の自分にとって一番楽だから!」としか返ってこないですし^^;。
 もっとも、この「特定の配列にある固有の楽さ」には確かな理由があるはずであって(出鱈目配列ではどうやっても得られないわけですし)、確かにこの理由を分析することは非常に重要だと思います。
 理由の分析に関しては、時間をかけてでも突き詰めて調べて行きたいところです。
 ……と、長文失礼いたしました。

投稿: かえで(yfi) | 2006/02/03 02:01

かえで(yfi)さん

リアルの世界で人を説得しようと思うと、いろいろ考えないといけないことがたくさん出てきます。まあ、それだからこそ智恵を巡らせて、どのような方法があるのか考えるという、楽しい(?)作業があるわけです。

「親指シフトしか使えない人」と「好んで親指シフトを使う人」の比較については、話が飛躍しますが、外国語を教える場合のネイティブ・スピーカーの役割を想起させます。

外国語を教えるのをネイティブ・スピーカーがやることが、常に適当であるかどうかを考えてみます。例えば日本人が英語を勉強する時のことを考えてみましょう。

日本語と英語の違いを理解していない人間が、たとえ英語のネイティブ・スピーカーだったとしても、効果的な英語教育ができるでしょうか。できるかもしれません。でも、違いを知っていればもっと効果的な教授方法を考えられるでしょう。

人に納得してもらうという作業はとてもクリエイティブな仕事です。アート(技)と言っていいでしょう。そうした枠組みで考えると、親指シフトと他の入力方法をきちんと比べて語れる人は大変な財産です。

私は入力方法の比較では、だいたいの目的において親指シフトは優位にあると信じているので、そのような財産を大事にしたいと思っているのです。

良いと信じるものを人に対して勧めるのは当然のことです。ただし、そのための理屈はきちんとしていなければいけません。すぐにぼろが出るようなものでは信頼されないのは世の中の当然のきまりです。

その上で、それをどのように表現するかは、いろいろなやり方があると思っています。それも相手がどのように受け取るかということに合わせて微調整が必要なのは言うまでもありません。これもアートなのです。

投稿: 杉田伸樹(ぎっちょん) | 2006/02/05 23:13

この記事へのコメントは終了しました。

トラックバック


この記事へのトラックバック一覧です: Re: 『ミーン・ガールズ』(@映画フェイス):

« Re: 絶滅危惧種(@Weblog 61℃)他2件 | トップページ | Re: 親指シフトキーボード(@弁理士の日々)他1件 »