Re: テキストエディターと親指シフト(@FKB8579-661EV親指シフトで日本語にこだわる)
日本語入力をするプログラムが、時代とともにどのように変わってきたか、それと親指シフトとは関係があるか。
http://spaces.msn.com/members/okeydoke/PersonalSpace.aspx?_c=
Windows 98でパソコンに切り換えて、ワードを使い始めたが、テキストエディターを使うという発想はなかった。今は高価でメンテナンスの手間が大きいMS OfficeからOpen Officeに切り換えたが、ワープロソフトを使う機会は本当に少ない。
(中略)
日本語ワープロ機やパソコンのワープロソフトに関心を持つことによって、キーボードを通してのインター フェースに関心が出てきて、楽しくなると思う。しかし今のパソコンがインターネットの端末として使われている現状を考えると、テキストエディターへの日本 語入力方法をどう選択するかにかかっている。
コンピューターを使って日本語を入力するという作業が時代とともにどのような特徴を持っていたかについて、少し大胆な仮説を提示してみます。
まず時代区分として、1980年代、1990年代、2000年代に分けます。これを仮にワープロ専用機の時代、パソコンワープロソフトの時代、インターネットの時代と名付けます。
ワープロ専用機の時代は、最終的に求められていたのは「紙に印刷された文書」でした。だから、メーカー毎に違うプラットフォームであっても問題はありませんでした。ここで大事なのは「ワープロ専用機に内蔵されたプリンター」だったのではないでしょうか。ただし、この時代のワープロ専用機の機能は限られたものであったので、文書をきれいに見せるために費やされる努力は、文字入力そのものに費やされる努力に比べて少なかったと考えられます。
パソコンワープロソフトの時代では、パソコンを使う人が増えたため紙そのものではなく文書ファイルがやりとりされるようになりました。最終成果物は「電子的な文書ファイル」となりました。こうなると、Windowsというプラットフォームが共通のものになってきます(マックユーザーさん御免なさい)。アプリケーションの違いは文書ファイルの違いを意味しています。この時代の一つのキーワードはWYSIWYG (What you see is what you get)かもしれません。文書をきれいに見せるための技術も洗練され、そのために費やされる努力も多くなり、文字入力そのものの重要性は低くなってきました。
インターネットの時代は、おそらく最終目標は「ディスプレーに見える文章」なのかもしれません。きれいに見せるための技術は洗練されていますが、それを得るためのコンピューターの助けも進んでいます。例えばブログを使えば容易に見栄えの良いページが作れます。こうなると、OSやアプリケーションの違いも関係なくなり、ウェブブラウザがある意味で、どのようなコンピューターにも共通したプラットフォームになります。
結局何を言いたいかというと、インターネット時代に入り、文字入力そのものの重要性が再び増してきているのです。文章をきれいに見せることはコンピューターに任せ、人間は文章そのもの、言いたいことの内容を良くすることに専念できるようになります。
それならば、自分の考えていることをスムーズに文字に定着させるための技術はより重要になります。WYTIWYG (What you think is what you get)がこの時代をあらわす言葉になるのです。考えていることをスムーズに引き出すのに役立つ親指シフトこそがインターネット時代の技術となるのです。
| 固定リンク
この記事へのコメントは終了しました。
コメント