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2006/01/12

Re: 親指シフトキーボード・ワープロソフトの凋落(@酔うぞの遠めがね)

酔うぞさんの文章入力の環境はどのように変わってきているのでしょう。
前の記事に引き続き、文章入力を取り巻く環境の変化と親指シフトについての考察です。
http://youzo.cocolog-nifty.com/data/2006/01/post_c522.html

これはどういうことだ?と考えていたら先日「ワープロなんて使わないじゃない」と言われてしまいました。

ネットワーク時代になって、パワーポイントかテキスト・メールばっかりだ、というのですね。
確かにわたしも一太郎とマイクロソフト・ワードを重要視してはいますが、現実に使う機会は一月に一度も無いです。

(中略)

しかし文章による表現がいつの間にか最上位ではなくなったことは、キーボードの使いやすさもあまり問題にならないのかな?という気にもなってきました。

これからどう変化するのでしょうか?

この問題は大変奥が深く、かつ興味深いものだと思います。私はあまり音声や画像が得意でないので、ネット上でも文章を書きつらねるだけです。そのような私からすると、実はインターネット時代は文字入力の復権の時ではないかと思っています。

ワープロソフトで一番重視された機能は「見栄えをよくすること」だったのではないかと思います。この意味では清書機という見方も当たっています。

ワープロ専用機も同じですが、じつはワープロ専用機の見栄えを良くする機能はあまり大したことがなかったので、それほど凝ったことはしなかった(できなかった)ということなのではないかと思っています。だから、文字入力への関心は相対的に高かったのです。

ワープロソフトはレイアウト機能が中途半端に高機能だったため、ユーザーはそれを使うことに血道をあげるようになって、文字入力自身に対する関心は低下してしまいました。

それで、インターネット時代になるとどうかというと、レイアウトの機能は高くなっているが、それに費やさなければならない努力はそれほど多くありません。例えば、このブログは自分のホームページよりずっと見栄えは良いと思いますが、ブログの方がずっと簡単に使えます。

むしろ、内容を充実させたいという気持ちがあるため、使いやすい親指シフトのありがたさが身に沁みています。

ということで、インターネット時代こそ文字入力への関心の復活の時で、親指シフトもきちんと評価されると、超楽観的になっています。

まあ、この手の話は、酔うぞさんの記事のコメントにあるように、

パソコン通信の初期(90年ごろ)だったらこんな話題を振ったら、それこそネット上で血の雨が降る級の大騒動になったものです。

ということかもしれないので、この程度にしておきます。

でも、ちょっと山っ気を出して、次のようなパワーポイントを作ってみました。よろしかったらご覧下さい。でも、パワーポイントってあまり詰まった内容を入れられないんですね。これだったらローマ字入力でも耐えられるぐらいですよ。

インターネット時代の日本語入力技術

 

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コメント

トラックバックありがとうございます(^^ゞ

いや~コメントでも意外な方向に盛り上がってしまいました。

パワーポイントを拝見して「あ、やっぱりDTPが無いや」でした。

わたしがパソコン通信に入った1987年頃にオアシスでマニュアルを作っていくのに表現の技術的な限界を感じててい、それがワープロという仕組みそのものにあると気づいていました。

パソコン通信で知り合った Macintosh の古手ユーザと話してDTPというものがあると知って、日本語版のページメーカーと QuarkXPress を両方とも買いました(良くカネがあったものだ)

わたし自身はそのころから必要性が減ってしまったのですが、注目はしていましたからフォードだかGMだかで「DTPのフォーマットを何十種類かに制限した」という情報を知って「なるほどね」と思うのと同時に、漠然としたDTPの先行き不安を感じました。

その不安は的中で、DTPのうちDTが消えてしまって完全にプロの印刷屋さんのツールになってしまいましたね。

結局、ワープロやDTPというのは入力から紙にするまでのプロセスの利便性の追求だったわけです。

当然のことながら、結果が良くなればプロセスは評価されません。
新聞記者は今やモバイルで現地から記事を送ってます。
それを「新聞の原稿をワープロで」などとは言わないのです。
新聞記者は取材の場ではノートに手書きで取材しますが、建物を出てすぐにその場に座りこんで記事にして送信しています。

ここまで来ると「ワープロソフトを使えば手書きが」どうのこうのというプロセス論は消えてしまいます。

プロセスが無くなると、アイデア→読みやすさといったことになるでしょう。
あるいはアイデア→理解といったことかもしれません。

そういう見方をすれば、HPを作るよりも blog の方が人気が出るが、掲示板は無くならないといったことも分かります。

文章表現について言えば、たまたま今日もう一つのココログを始めたのですが、最初にやったのが改行機能の設定ですね。
これは直接レイアウトに関わるわけです。

分かち書きがどうのこうの、とか80字で機械的に改行するのがどうのこうの、といった議論も紙とWebでは話が分かれることになります。

その点で、キーボードはもっと注目されるべきだし、親指シフトはローマ字入力に抵抗感のある人に対する非常に有力な代替提案ですから、もっと声を上げても良いでしょう。

ただし以前のキーボード論になってはいけない。
ごく近い将来(今でも)そのPCの生涯を通じて一度もキーボードを使わないで済む、という時代が来ます。
そうなるとキーボードがマウスの下にきてしまうわけですがそういうユーザにも「キーボードは・・・」とか言っても「何を力んでるの??バカじゃない」となるでしょう(^_^;)

投稿: 酔うぞ | 2006/01/13 01:01

酔うぞさん

DTPについては、まったく使ったことがないので確たることは何も言えず、プレゼンには入っていません。

私が記事の中で書いた「中途半端に高機能」なワープロソフトに比べたらDTPソフトは「本格的に高機能」なわけで、やはりプロにはそれなりの道具が必要ということだと思います。

ワープロ専用機やワープロソフトが求めていた印刷された文書のレベルというのは、例えば普通のビジネスで使われる文書(書籍のように完全なものでも、書のように芸術的なものでもなく)だったわけで、その程度のものを作成する技術はみんなに求められていました。

作家のような職業で求められる文書は、ある意味で体裁はまったくかまわないので、ワープロソフトの出る幕はあまりなく、エディターやアウトラインプロセサーの方が役に立ちます。体裁を整えて本にするのは別のプロがいますから。

普通のオフィスでは普通の労働者が文章の内容も作り、ある程度の体裁も整えるということまでしなくてはいけなかったのです。そのニーズにマッチしたのがワープロソフトだったのです。

で、私の論点は、インターネット時代では体裁を整えることに普通の労働者が割かなければならない労力が軽減され、文章の内容を作ることにより力が注げるようになってくるのではないかというです。これは議論があるところだと思っています。

>ただし以前のキーボード論になってはいけない。

というのはまったくその通りで、親指シフトの評価に当たっても評価の軸を「速さ」から「快適さ」に移すべきだと私は考えています。

投稿: 杉田伸樹(ぎっちょん) | 2006/01/14 22:52

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