Re: 対話式かな漢字変換と無変換キー(@FKB8579-661EV親指シフトで日本語にこだわる)
親指シフトと日本語入力に関して常に深い考察をされているokeydokeさんが考える「無変換キー」の重要性です。
http://spaces.msn.com/members/okeydoke/Blog/cns!1pTk-8y-rkErwnDpusZG-zlA!151.entry
ポイントは「無変換」キーの動作または仕様ではないでしょうか。Japanist 2003はもともと「ひんしゅくを」「顰蹙を」「ひんしゅくを」「ヒンシュクヲ」などと「変換」「無変換」キーで日本語の選択がループする性格を持ってい ました。一度「ひんしゅくを」を選択してもカーソルが移動するまで確定しないという、性格を持っていました。次の文節にカーソルが移動すると確定します。 また開業すると、確定して開業するという仕様でした。「無変換」キーが重要な役目を果たして特に改行操作は必要なかった、あるいはユーザーに意識をさせな かったという仕組みだったのでしょうか。ハードウェア全体の能力の低かった時代の話ですので、これがいいというものでもないのでしょう。
日本語を自ら選択するという、「対話式かな漢字変換」というシステム、大変古いシステムですが、まだ少なくとも私は使っています。親指シフトで会いましょう。
私も無変換キーは重要なものであると考えています。ただし、それは親指シフトに限った話ではなく「対話式かな漢字変換」全般に言えることではないかなとも思っています。
そのように考えた根拠は、最近読んでいる1990年頃のワープロ関係の書籍にあります。
ワープロ徹底入門、木村泉(1989)、岩波書店の10ページに、あるワープロのキーボードの図が出ています。これは他の情報を総合してみると、日本電気の文豪mini5Gのようです。
ワープロ徹底操縦法、木村泉(1991)52ページにも別のワープロのキーボードの図があり、これはどうやら東芝のRupo JW90Bのようです。
いずれの図でも、一番下の列の真ん中は左に無変換、右に変換キーがあります(スペースは文豪では無変換の左、Rupoでは変換の右です)。無変換、変換キーの分かれ目は「B」の真ん中の下あたりです。こうした配置は現在、親指シフトを使っている人ならすぐにピンとくるものだと思います。
こうしてみると、ワープロ専用機の時代は、日本語の入力には変換、無変換キーが必要で、かつ、その置き場所も両手の親指が自然に触れるところというコンセンサスがあったのではないかと思われます。
ワープロ専用機の時代は確かに今のパソコンに比べれば機械の性能は低いものでした。ただ、対話式かな漢字変換が選ばれていたのはそのためだけではなく、もっと日本語入力の技術の本質に根ざしたところにあるのではないかと思っています。
たとえば、日本語の表記において、漢字を使うか、かなを使うかの選択が書き手の任意に任されている部分が大きいこともその理由にあげられます。だから、対話式かな漢字変換はハードやソフトの性能が向上したとしても依然として日本語入力方式の中でメジャーな地位を占めていくのではないかと考えます。
言葉や表記のシステムが異なれば、入力方法が変わるのも当然です。たまたま見つけた、鈴村瞬「馬来西亜電脳徒然草 ♯16 ローカル・チャイニーズのPC環境 その3」
http://www.nichimapress.com/03_denno/2005/denno_306.html
によれば、中国語の入力方法はいろいろあって字形をベースにしたものなどあり、なかなか面白いようです。ただし、どれも結構大変そうです。
いずれにしても、文字の入力はその言葉の本質や使われている実態をよく見て使いやすいものを選ぶ必要があると思います。そしてそれは、大きな社会的財産になるはずです。
親指シフトという優れた方式を生み出し、四半世紀後でも実用的に使えるという環境を維持してきた日本語と日本の社会は大したもので、誇りに思って良いものだと感じています。
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