Re: 親指シフト(@この路を往きし人あり)他1件
遊走子さんが親指シフトの最近の15年を総括しています。
http://d.hatena.ne.jp/yusosi/20051019
親指シフト、というか NICOLA を使っている。覚えてから 15 年になるが、たぶん私は親指ユーザーとしては若い方だろう。というのは、15年前と言うのは、富士通のワードプロセッサがゆっくりと絶滅に向かいつつあった時期であり、もはや新規ユーザーはほとんどいなかったと思われるからだ。それよりも10年ほど前に、親父が嬉しそうに親指シフトを練習していたのを覚えている。たぶんその頃が親指シフト全盛期だったのではないだろうか。
私が親指シフトを使い始めたのは1988年ですから17年前です。ということは遊走子さんよりちょっとばかり早く始めただけです。だとしたら、私も若い方?だったら少しうれしい感じもありますが。
お父様が親指シフトを練習されていたのが25年前という計算だと、出始めたころという計算になります。
最近1990年前後に書かれたワープロ関係の本をいくつか読んでいますが、その頃は結構日本語入力に対する関心も高かったようです。親指シフトを使っていない著者が書いた本でも親指シフトの利点をきちんと押さえた文章を書いています。
親指シフトのピークがいつ頃だったかはもう少しいろいろなデータを集めてみないと分からないところはあります。でも、おそらく遊走子さんが書いたように、ここ15年くらいはゆっくり後退していた(絶滅ではないにしろ)ことは事実だと思います。
日本語入力コンソーシアムが設立されたのが1989年ですが、残念ながら後退トレンドをひっくり返すまでにはいかずに今に至っているという状態でしょうか。
でも、短期的な(といっても15年ですが)傾向だけにとらわれることなく、もっと長い目で見ることも必要なのだと思います。
親指シフトのような効率の高い入力方法は、長期的に見て日本人のコンピューターリテラシーに少しは有利に働くのではないかと妄想しているが、実際にはこの入力方法は、普及せずにゆっくりと絶滅してゆくのだろうか。
こうした視点は重要であり、絶対「妄想」ではありえず、親指シフトも絶滅しないと考えています。
一般に普及させるには、何かお祭り騒ぎが必要であるが、この入力方法はあまりにも地味であって、なかなかそんなふうにはならない。誰か面白いことを考え出さないだろうか。
妄想だったら、私の方が先輩(笑)で、いろいろ考えています。
http://homepage3.nifty.com/gicchon/sub145.htm
http://homepage3.nifty.com/gicchon/sub145-2.htm
http://homepage3.nifty.com/gicchon/sub145-3.htm
残念ながら、この妄想を共有(笑)する人は少ないようで、何らかの具体的なレスポンスがあるわけではありません。
ただ、妄想も頭の中で考えているだけでは残りませんが、書き留めておけば長期的に見て0.3パーセントくらいの実現率はあるかもしれません。そのためにも、親指シフトを使って、せっせと妄想の記録に励むというのはどうでしょうか。
ワープロからパソコンに切り換える時に親指シフトをどうするかが一番の問題のようです。
パソコンの脆弱性(@香取俊介の道草日記)
http://katorishu.exblog.jp/620935/
親指シフトのワープロは4台目まで使用していた。ずっとこれを使っていくつもりであったが、ウインドウズ98がでたころから、ワープロ機械の製造そのものをやめてしまうメーカーが多く、不具合になったのを契機にパソコンに乗り換えた。
親指シフトに慣れきっていたので、苦労して今の「一般化」されている入力システムに慣れた。不思議なもので、このシステムになれてしまうと、以前あれほど習熟していた親指シフトの操作ができなくなってしまったのである。
この時期にきちんとしたワープロからパソコンへの親指シフトでの移行のパスができていたら結果は違ったかもしれません。香取さんも苦労をせずに済んだのかもしれません。でも歴史に「もしか」はありません。こうなっている以上、現状をスタート時点として物事を考えるしかありません。でも、これまでしぶとく残ってきたことを考えれば、親指シフトにはまだはね返すバネはあるのではないでしょう。
文字入力のような基礎的技術で、ハードやソフトの環境が変わっても、個人に合った使いやすいものを一貫して使えるようにすることも、パソコンを使う社会の脆弱性を減少させることなのです。
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