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2005/09/21

Re: キーボード(2)(@fukuzumiブログ)他1件

前の記事でご紹介したブログからトラックバックをいただきました。
http://blog.fukumizu.com/archives/2005/09/post_37.html

キーボードからローマ字入力する場合、日本語の読み(音声)をまず人が頭の中でローマ字に置き換えて打鍵し、それをコンピュータがまたかな文字に置き換え るという手順を踏んでいます。これはつまり、目的地に向かうのに一端迂回路に入っているわけで、この作業によって、日本語の読みに関わる部分を不要に操作 していることになります。こうした手続きが思考の流れを阻害するのは否定できません。もちろん人間は慣れというやつでそういう弊害をけっこう乗り越えられ るものですが、ことこの件に関しては無益な手間をかけているという感じが拭えません。単に文字記号を入力する器具としてなら、それでも不都合はなさそうで すが、ペンに匹敵する(?)文具として使用するためにはやはり不満が残ります。

少し長い引用になりましたが、日本語入力に関してかな漢字変換を前提とした時に、現在ある入力の方法は大きく分けて「かな入力」系と「ローマ字入力」系に分けられるのかと思います。両者のサポーターはいろいろな点から、利害得失を論じています。

上記のブログではかな入力がローマ字入力に優るものとして、日本語の音声とかなの親和性に着目しているように考えられます。

音声と文字の関係は、言語によりさまざまです。また、時代により、あるいは大きな意味での政治・社会的背景にも影響を受けます。文字の表記が大きく変わってしまった例として、モンゴル語(社会主義政治の下でモンゴル文字からキリル文字になった)、ベトナム語(フランスの植民地時代にラテン文字を使うようになった)などがあります。

現代の日本語では漢字かな交じりの文章を使っています。日本語入力の問題は、この漢字かな交じりの文章をコンピューターの力を借りて作成するのに、どのようにするのが合理的であるのかという観点から論じられています。

既に述べたように、上記のブログの作者の方は日本語における音声とかな表記の親和性を生かすべきであると考えておられるようです。

一方で、次のように考える人もいます。

■M式_50音ソフト拡販へ提案~Qプレス会長 寄稿~(@もう日本語入力に悩まない!_M式入力と脳力開発)
http://m-keyboard.cocolog-nifty.com/mkeyboard/2005/07/__af0f.html

同人のK博士からの最新の情報によりますと、アルファベットの世界でもこの研究開発が今のメインになっているようです。仄聞では、そのために、アルファベット26個のキーをテンキー10個くらいで操作する仕掛けができないかを課題にしているようです。
この仕掛けの中核には、ロボットの世界とは違い、つまりは「言語の音」を据えなければならないというのが大方の結論のようです。
世界が今M式ににじり寄っているように見えます。母音5個、父音14個、計19個の音素キーで漢字・ひらがな・カタカナの膨大な言語分野を支配し、7個のアルファベットQLJFCXVを配置しているだけで、英語の世界にまで対応しています。
言語音を解析してキータッチを少なくする欧米的研究は、父音が確立している日本語では、M式ですでに完結していると評価できます。

これだけの情報では断片的で、私がちゃんとした理解をしているか心もとないところもあるのですが、日本語の音声を子音+母音として分けて分析し、それが少ない数で要素で構成されていることに着目して、キーボード上に配置できることが利点であると主張されているようです。

日本語入力で常に問題となってきたのは、使われる文字の数の多さでした。これをどのように解決するかにみんな頭を悩ませてきました。

漢字の多さについては、タブレット方式や手書き認識、漢字直接入力等が考えられましたが、現在ではかな漢字変換にほぼ収束しています。

次は、かなをどのように入力するかで、ここでかな入力とローマ字入力が分かれることになります。ここでも問題となるのは、かな文字の数の多さです。

英語のアルファベットは数が少ないので、左右のホームポジション(人指し指を横に動かすことを含める)と上下段にすべての文字を納めることが可能でした。日本語の入力の場合はそれが不可能でした。このため、JISかなでは、右手の小指に割り当てるキーを増やしさらに数字キーに割り当てられているところまでかなをアサインしました。

ローマ字入力は、一つのかな文字を一つのキーストロークで入力することをすっぱりあきらめて、基本的に2ストロークで入力することで、英語によるタイプと同様に、指を大きく動かすことなく日本語をタイプできるようになりました。ここには、文字の入力をするのに別に1文字1キーストロークにこだわらず、2キーストロークを組み合わせて1文字を表現すれば良いというソフトウェア的な解決をとりいれたことに大きな進歩があります。

M式の理論は、確かに分析をする枠組みとしては分かりやすいし、厳密な理論を展開するためにはこうした分解も有用かもしれません。しかし、日本語入力の問題は「習熟のためのある程度の練習で誰もが効率よく文章を作成できるようにする」という実用的な観点から見るべきだと考えます。

反対に、かな入力を推す人が「1文字1ストロークの良さ」を強調するのは分かる気がしますが、それだけでは議論を尽くしていないのではないかと考えます。

「音声」と「表記」の関係は、もちろん言語によって様相は異なりますし、正書法が確立している言語でも、例外や経時的な政治・社会的変化が多くあります。

日本語以外で親指シフトを使えないかというのは私の好きなテーマですが(私のホームページの方をご覧下さい)、他の言語での応用例を見ると、必ずしも1文字1ストロークにこだわっていませんし、音声と文字の関係が複雑な場合は音声のことを少し忘れて文字だけに着目する場合など、いろいろあります。

そういう意味で、使いやすいインターフェースを考えるに当たっては、理論倒れにならないように言葉の現実をよく見て、社会的にも受け入れが可能なものを考えることが必要なのではないでしょうか。

日本語を表記するのにローマ字を使う場合のやり方はいくつかあります。よく知られているのに訓令式とヘボン式があります。しかし、最近調べ物をしていたら、ローマ字表記でも面白い考え方があることを発見しました。

海津式ローマ字(理論編)
http://www.halcat.com/roomazi/kaizu-siki/riron1f.html
「99式」日本語のローマ字表記方式(要約)
http://www.roomazi.org/99sikisum.html

これらでは、日本語の表記の方法としてのローマ字として、発音ではなく、かなのつづりをベースにすることを提唱しています。

これを見て、目からうろこが取れる思いでした。この方法が社会的に正当なものなのかどうか(その前に日本語の表記としてローマ字を使うことの是非があるんでしょうけど)にわかに判断できませんが、少なくとも、いろいろな考え方があり得るということを納得的に説明しています。

コンピューターを使った日本語入力は、さらに自由度が高いと考えられます。理論先行で議論の幅を狭くすることはつまらないと思います。もちろん、実際に使いやすいものを選ぶに当たっては、リアルな使用者による、きちんとした枠組みによる評価が不可欠なのです。

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