http://kitagawa.cocolog-nifty.com/dekigoto/2004/07/20040706.html
このブログの前の記事にコメントしたら、すぐに新しい記事を書いていただいた。こちらにもコメントしようと思ったが、いろいろ書きたいことが浮かんでくるような内容で、コメントとしては長くなり、あまり格好がよくないかなと思い、どうしたものかと思案していた。トラックバックを使えばスマートにできるかなと思い、急遽、このブログを立ち上げた。私にブログを立ち上げるよう、背中を押してくれた記事とも言える。
捨てないで未だに持っていることで、私の気持ちを察して欲しい。
(中略)
結局私はJISローマ字に宗旨替えをした。
これなんですよね。親指シフトを離れて他の入力方式に喜んで変わったということが少ないことがきわめて多くのことを語っている気がする。だからこそ、親指シフトを使う人が高いハードルを越えずに使える、いろんな意味での環境を整えることが重要だ。
この過程で一番いけないのは富士通のマーケティング的大失敗だ。
こうした話は言いたい人が沢山いるだろうから、あえて私がここで言うことは避ける。別に富士通に対して何らかの利害関係を持っている訳ではないが。
サイテーなのは国が新JISという新しいキーボードを出したときだ。これは1キー2文字であったが、富士通をあざ笑うために「小指シフト」だった。富士通は裏金を使ってでも親指シフトをJIS化するべきだった(話のたとえ)。小指シフトはまったく日の目を見ずに絶滅した。
話のたとえとは言え、思わず笑ってしまった。いや、本当は笑うような話ではないかもしれない。後にまったく使われなくなるような規格を提唱し、決定したことの責任はどこにあるのか、その背景にもし、特定企業(複数の可能性も)の利害にかかわる問題が深くかかわっているとしたら、等々、政策決定論のケーススタディーとしても、あるいは調査報道の対象としても取り上げられる実例かもしれない。
また、日本語IMEもデファクトスタンダード(事実上の世界標準)のMS-IMEにはうまくマッチできず、富士通製のJapanistとか言うマイナーなIMEでないと正常動作しないらしい。
こうしてますますマイノリティーの道を歩んでしまった。
日本語IMEをOSに付属して販売していることに、なぜだれも異を唱えないのだろうか。ブラウザをOSに無料で付属して販売したことがあれだけ大きな独占禁止法上の問題となったことを考えれば、これはもっと大きな問題だとも言える。なぜなら、日本語IMEは使う人の好みが大きく異なるものであるからだ。ブラウザはなんやかんや言ってもやることは結局は大きな違いがあるものではない。ところが、日本語IMEは使用者の使い勝手を大きく作用するファクターであり、文字を入力するという、およそパソコンを使う際に使わずに済むことがほとんどないものを、OSと密接不可分であるとの理由で無料で付属させて販売してもらっては困る。OSと日本語IMEとのインターフェースに関してもどの程度の情報開示がされているかも分からない。このような状況で、OSに付属しているという理由でデファクトスタンダードとしてしまってはいけないのである。もちろん、それぞれのIMEの出来不出来の問題についてはきちんとした議論が必要であろう。
この論点を踏まえた上で、親指シフトの使用者を救う道として、Japanistや親指ひゅんに備わっている機能を他のIMEにライセンシングすることが考えられる。もちろん、その交渉は商業ベースでやって良いだろう。親指シフト使用者のコミュニティーのやるべきことは、交渉の当事者に対して、そうした交渉をすることが十分意味を持つことだということを納得させることではないか。
使用者の使い勝手を大きく左右するインターフェースについては、マジョリティーもマイノリティーもない。自分が使い易いものを使うという原則を常に掲げていく必要がある。知識を大切にする社会、知識を作り出す人を大切にする社会とはそういうものである。
忸怩たる思いで今日もJISキーボードに向かうのである。
という思いをしなくて済むような環境を作ることが、これからの社会の競争力の源泉となっていくのである。
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